人前で弾く緊張について(2)

前回からの続き。

プロの演奏家って、You tube とかで見ても、全然緊張なんかしてないように見えますよね。
余裕でリラックスして弾いているかのようにさえ見える。


でも、これももう30年かそれ以上前の話になっちゃうけど、確かN響の首席フルート奏者(当時)だったか誰だったかだと思ったが、もうそんな一流の演奏家ですから、何度も本番の舞台を踏んでるわけです。
しかし、そんな人ですら、本番はやっぱり何度やっても緊張します、みたいなことを話していた。


プロでも、本当は緊張しているんですね。


で、極度の緊張下でも力を発揮できるためには、圧倒的なサービス精神で臨むといいんじゃなかろうか、というのが前回までの話。


んで、緊張下で失敗の原因となるような、自分がいいカッコしたい、いいトコ見せたい、自分が称賛を受けたい! みたいな、個人的で自分中心な動機が沸き起こってくるような場合は、どうするのか?


こういう、自分本位な気持ちから出発して舞台に立つと、たいてい何か失敗をやらかします。
やらかさなくても、あまりうまくいかなかったりする。


でも、そういう気持ち自体が、悪いというワケではないのです。
そもそもなぜ、そういう、「自分がいいカッコしたい」「人にいいトコ見せたい」「称賛を受けたい!」というような欲求があるのでしょうか。


突き詰めてその源泉を探っていくと、最終的には「心の寂しさ」に行きつきます。
小さいとき、親から十分に愛情を受けられなかった。
それが、心の寂しさ、心の飢え渇きとなって、深層心理の奥深くに沈潜する。

人から愛されたい、誰かに愛してほしい、そういう渇望が、無意識下に常にある状態となる。

そうなると、その意識下の渇望が、無意識に私たちの行動原理となってしまう。
いつしか、人の目を引きたい、人にいいトコを見せて、自分を見てほしい、称賛してほしい、そしてできれば愛してほしい……そういう風に、心の奥底の渇望が、私たちの心のありよう、あるいは行動そのものの源泉となってしまっているんですね。


でも、私を愛してほしい! といくら願って頑張って他人にアピールしてみたところで、その他人だって、同じように自分を愛してほしい人たちばかりなワケですから、誰も振り向いてくれやしないのです。


だから、そのような行動原理から出発して楽器の演奏に臨んでも、決してうまくいなかい。


では、どうすればいいのか?

一つの答えとしては、自分自身の心の奥深くを見つめ、自分の中から沸き起こってくる欲求や衝動の根幹に、実は「心の寂しさ」「愛情への渇望」がある、ということを自覚して、そこに気が付くことです。

あ、そうか、そうだったのか……自分は本当は、それ(愛情)が欲しかっただけなのか……と、そこに気づく。
気づいたからといって、そうした欲求がすぐに消えてなくなるワケではないのですが、気づくことにより、それに支配されることがなくなるのです。

それ(心の渇望)が行動原理ではなくなることができる。
それ(心の寂しさ)に支配されずに、それとは違った行動原理で動くことができるようになってきます。


自分が称賛を受けたい! とかいう欲求から自由になって、圧倒的なサービス精神を動機として演奏に臨むこともできるようになってくる。



ちょっと話しが逸れますが、「心の寂しさ」は、あらゆる依存症とか中毒の原因にもなります。
愛情に飢えた心を、別な何かで満たそうとして、何かに依存したり、中毒になってしまうのです。

ギャンブル依存症、アルコール依存症、薬物中毒、ゲーム中毒……etc


みんな、突き詰めれば究極的にすべて「心の寂しさ」を埋めるための代替措置として、行われている。
でも、代替措置では決して埋めることなどできないから、いつまでも依存し続けることになってしまう。


これらは、道徳的に悪いとか何だとか、当人を責めてみたところで、絶対にやめることなんてできるハズがない。
根本の原因に気づいていないからです。

これは、当人自身が、それらの依存症の根底に、愛情に飢えた寂しい心があるんだ、ということに気づいて、そこから自由になる以外に治療法などないんです。

医学的にどうだこうだ、なんていう御託は、まったく無意味で大嘘ですよ。



あと、人から愛されたいのであれば(誰でもそうでしょうけど)、まず自分から人に愛情をかけなければいけません。
まずは自分自身が、心の飢えから自由になって、そして自分から他人に愛情をかけていく。

まずは家族から。
そうするうちに、やがて相手も愛情で返してくれるようになってくる。
少し時間は掛かりますが、根気よく続けていれば、そのうち必ずいい結果になってきて、人間関係が良くなってくる。


まあ少なくともワタシはそうやって生きています。


なんだか、仏教説話みたいな話になりました。
あちらこちらで同じようなことが話されているような気もします。

しかし、全然、世の中に広まってないし浸透してないんじゃないか、と思わせるような、悲惨な事件やら何やらが多くて。
新聞やテレビのニュースにならないような、身近なところでも、子どもに対するネグレクトなんていう事例が、たくさん耳に入ってくる。

なんでそんなに、冷たくできるんだろうな~、と信じられない気持ちになりますわ。


でもそういう親は何人もいるんです。
子どもほったらかしで男に走るシングルマザーとかね。

でも、こういう人だって、やっぱりその心の奥底には愛情に飢えた寂しい心がある。
その渇望を埋めたくて、男に走っちゃう。
自分が愛されたい欲求ばかり強くて、子どもを愛することができない。

だから、いくらそういう人を、道徳的に悪い、とか責めてみたって、法律で縛ってみたところで、絶対に改善するワケがない。
その人自身が、自分が男に狂ってばかりで子ども放置なのは、心の奥底に、愛に飢えた寂しい心が沈んでいて、それに行動を支配されてしまっているからだったんだ、と気づかない限りは、絶対に何があろうとも、変わることはありません。


でも世間一般の常識で行くと、子ども放置のネグレクト親はバッシングされて当然! みたいな風潮があるでしょ。

その親だって、可哀そうな人なんですよ、本当はね。


でも、誰にも救えない。
自分自身が気づかない限りは、絶対に無理。


でも、あまり道徳的に責めるのもちょっと違うと思うワケです。


何か、話が脱線した。
今日は酔っぱらってないけどね。


ちょっと酒は控え中……



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ばっかバッハ

Author:ばっかバッハ
ヴァイオリンを習い始めたのは16歳くらい。
それから30年以上の歳月が流れ…今ではアラフィフ。
年齢とともに楽器を弾くのが辛くなってきたので、ゲームで遊ぶことも。

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