高嶋ちさ子ゲーム機破壊の補足

さっきの記事に補足。

アル中の人から、酒を取り上げたら虐待なのか?
シャブ中の人にシャブ抜きするのは、虐待なのか。

ゲーム中毒の子どもからゲームを奪うのは、虐待ではないだろう。
やり方が激越だっただけで、その目的は十分に教育的であると思うし、愛情に基づいた行為だと俺は思う。


実は、ウチでも、孫のRちゃんが一時期、3DSに目覚めてしまったことがあって……
どうしても、妻(ばーば)が甘くて、やらせちゃったから、覚えちゃった。
そうしたら、四六時中、ゲーム、ゲーム、と言うようになってしまって、ママ(娘)が非常に危機感を募らせまして。

なぜなら、保育園の同級生に、朝からゲーム、家に帰ると夜もゲーム、とゲーム漬けの子がいまして、その子がもう、保育園ではただひたすら、ぼーっとしていてお遊戯もできない、音楽会でも何もできない、読み書きもロクにできない、という有様だったものだから。

本来だったら、もっと家族との間での触れ合いを通じて、学んだり身につけること、あるだろうに……

んで、いろいろあって(大喧嘩とか、責任のなすりあいとか、醜い大人の抗争(笑)、笑いごとじゃねーよ)、結局、ゲーム封印、となった。
まあ、孫の目の前で破壊、とかはなかったけど、なぜかそういうのが問題になってきたタイミングでちょうど、ぼくがついうっかり、3DSをコンクリートの上に手をすべらせて落下させちゃってね。
意図はなかったんだけど、無意識に「これは無いほうがいいのかも」という気持ちから、手をすべらせちゃったのかもしれない(フロイト的解釈)。

んで、見事に折れ目から真っ二つに(笑)
まあ、すぐにニンテンドーに送って修理してもらったけど、結局、ないことになっていて、ぼくも返送されてきた箱から出す気も失せ果てて、開封もしないで事務所の隅っこに転がったままだよ。

ゲームなんてなくたって、人間は生きていけるんだよ。
ゲームはコミュニケーションツールだ! なんて言ってるヤツは、すでにゲーム中毒に罹患してんじゃないの、かなり重度の。

ゲームがコミュニケーションツールだとしても、それ以前に、コミュニケーション自体をゲームから学んだり身に着けることはできないでしょ。

ゲームの前に、まずは家族や、友だちやらと、直接顔を合わせて言葉を交わす、というところからコミュニケーションを学ぶ。身に着ける。
その後で、ゲームを介したコミュニケーションも成り立つよ、という順番で来るんじゃないの?

あの赤木って人、本当にマトモにモノを考える脳力あんのか?
バカなの?

あ、やっぱゲーム中毒だから、もうマトモな思考力がマヒしてんだね。
そんな人が、偉そうにフリーライターだかブロガーだか知らねぇけど、BLOGOSとかで大々的に情報発信しないでほしいもんだな。
物事をよくわかってない人が、真に受けて信じるじゃないか。
っていうか、ネット上の言説を見る限りだと、どいつもこいつも赤木と同レベル、同思想で、反吐が出る。
もっと違う意見、ねーのかよ?

つーことで、黙ってられなかったので、書いてみた。

あ、あと、ゲーム機を破壊された報復として、高嶋ちさ子のストラディヴァリウスを破壊してやれ、みたいな激越な意見を述べてるバカもいたけど、ゲーム機一つとストラディバリウスじゃあ、価値が全然違うし。

ゲームをいくらやっても、誰もほめないし、何の役にも立たない。社会的に。
しかし、ヴァイオリンやピアノといった楽器に習熟するというのは、人前で演奏して、聴き手を楽しませたり感動させたり、場の雰囲気を盛り上げたり、社会的に有用性があるのである。

だから、ゲーム機とストラディヴァリウスを同列に論じることはできないし、同列に論じてる時点で社会経験が著しく不足しているんだろうしマトモな一般常識もない、ということがうかがえる。

そんな馬鹿みたいな言説を、真に受けて信じる人がいないことを切に願うばかりである。

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プロフィール

ばっかバッハ

Author:ばっかバッハ
ヴァイオリンを習い始めたのは16歳くらい。
それから30年以上の歳月が流れ…今ではアラフィフ。
年齢とともに楽器を弾くのが辛くなってきたので、ゲームで遊ぶことも。

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