シベリウスVn協奏曲(CD

先日、ムローヴァ/小澤征爾によるシベリウスヴァイオリン協奏曲のCDが届いた。



正確には、チャイコフスキーとシベリウスのヴァイオリン協奏曲のカップリングであった。

さっそく、シベリウスの第3楽章をよ~く聴いてみた。

結果。

「♪じゃんちゃかじゃんちゃかじゃんちゃかじゃんちゃか……」

という刻みにヴィオラの音がすごく聴こえる個所として、3楽章が始まってからの「分:秒」で表記すると、

①00:45~00:50くらい

②04:11~04:30くらい

③04:40~04:42くらい

の3か所を発見。
確かに、ヴィオラ独特の豊かな音色が、聴かれる。
あと、04:56~05:00くらいに出てくる、「♪じゃ~んちゃじゃっじゃっじゃっじゃ~……」も、どうもヴィオラっぽい。
最後の伸ばした音なんて、まさにヴィオラそのものに聴こえる。

以上のように、小澤征爾指揮のCDだと、オケの各パートがよく聴こえる。
ヴィオラに限らず、ファゴットかな? と思える音や、あと何の楽器だかよく分からない音とかが、非常に立体的にくっきりと鮮明に収録されている。
上記に述べたヴィオラが目立つ個所も、すごくいい音で聴こえる。

小澤征爾には、強烈な「アンチ」もいて、実はぼくがかなり以前に習っていた先生も激烈なアンチ小澤だった。

そんなわけで今まで敬遠してきたのだが、最近、CDをよく聴くようになって、小澤征爾、そんな悪くないじゃん? むしろ、けっこういいのでは?

と、思い始めていた矢先であった。

ちなみに、シベリウスで今まで愛聴してきた版は、これ↓



ダヴィッド・オイストラフのヴァイオリン、ゲンナディ・ロジェストヴェンスキー指揮、モスクワ放送交響楽団の演奏。
ムローヴァ/小澤征爾とは違って、ピンと張りつめた緊張感が全体を支配する、集中度の高い名演である。
ただ、繰り返し何度も聴くには、あまり向いていないかもしれない。

ムローヴァ/小澤征爾の方が、いい具合に力が抜けているというか、リラックスして何度も聴ける感じに仕上がっていると思う。

シベリウスのヴァイオリン協奏曲を初めて知ったのは、もうかなり昔、まだヴァイオリンを習い始めて数年の頃……NHKの番組、N響アワーで、ギル・シャハムのヴァイオリン、アダム・フィッシャー指揮、NHK交響楽団の演奏を映像で見たときであった。
そのとき、たまたまVHSビデオに録画してあって、今でもそれをDVDにダビングして、保存してある。

あの時の映像では、1楽章のラスト近く、ヴァイオリンが分散和音になる直前で、ギル・シャハムが微妙に音程を外し、さらにそのあとの分散和音でオケのフルートと微妙にズレて……でも数秒後にはまた微妙に合わせて弾いていて、というシーンが、非常にスリリングで面白かった。

とにかく、1楽章から「冬」を感じさせる、そんな曲であった。


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シベリウス3楽章

今日は、さすがに疲れすぎたので、練習はお休み。

それはそうと、コメント欄で教えてもらったのだが、シベリウスのヴァイオリン協奏曲第3楽章に、ヴィオラがキレイなところがあるらしい。

今まで何度も聴いた曲なのに、気づかなかった。
いつも、独奏ヴァイオリンばかり追っていたからだろう。

というわけで、バックのオケに注意を払って、第3楽章をよく聴いてみた。


むむむ……(-_-;)



もしかして、独奏ヴァイオリンにハーモニクスが出てくる直前くらいに、オケが「♪じゃ~んちゃじゃっじゃっじゃっじゃ~」ってやるとこが、実はヴィオラのみっぽい音がする。

あそこかなぁ?

その少し前にも、「どんどこどんどこどんどこどんどこ」というリズムをひたすら打ち続ける弦に、ヴィオラっぽい音がする。

うん、持ってるCD(オイストラフVn、ロジェストヴェンスキー指揮 モスクワ放送交響楽団)では、オケの音が小さくてよく分からなかった!(^-^;)

実際に演奏に参加すると、よく分かるんだろうな。
たぶん。

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ヴィオラ協奏曲集(CD

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ルツェルンの第9

ヴィルヘルム・フルトヴェングラーが指揮したベートーヴェンの第9交響曲のライブ録音は、10種類ほどあるらしい。
その中でも、最良の音質と評判の一枚が、「ルツェルンの第9」と通称される録音である。

これは、1954年8月22日のルツェルン音楽祭で演奏されたときの模様であるため、そのような名称で呼ばれている。
今日は、この「ルツェルンの第9」を最初から通して聴いてみた。

正直なところ、ベートーヴェンの第9交響曲を第1楽章から通して全曲を聴いたのは、今回買ったこのCDが初めてである。
第4楽章の「歓喜の歌」ばかりがやたらと有名になってしまっていて、なんだかあのメロディーを知っているだけで第9の全てを知っているかのように思い込みがちだが、実はこの曲のすごさは全楽章を通して聴いてみないと分からない、ということを初めて知った。

とはいえ、とにかくひたすらに長々しい曲なので、フルトヴェングラー以外の指揮者で聴いたら、おそらく退屈してしまうのではないだろうか、という懸念を払拭しきれないけども。なので、フルトヴェングラー以外は今のところ聴くつもりは全くない。

というワケで、フルトヴェングラーの「ルツェルンの第9」である。
他に比較できる対象はないのだけど、とりあえず第1楽章から、ものすごいエネルギーのほとばしりに圧倒される。そしてこの第1楽章から、とにかく長い。長いから飽きるか、というとそんなことはなく、フルトヴェングラーの演奏は一瞬たりともダレるところがない。

あらゆる音が、有機的に意味を持ち、一瞬一瞬が聴き手の心を惹きつけて放さない。すごい。

そして第2楽章。これもまた、カッコいい。以外と、この第2楽章も好きである。

第3楽章はそれまでと打って変わって、ゆったりと流れていく歌である。そして、これもまたやたらと長い。長いんだけども、やっぱり飽きずに聴くことができる。ちょっとその美しさに感動してしまうほどだ。

第3楽章が終わると、いよいよあの第4楽章の幕開け。
いきなり強奏でファンファーレっぽい出だし。続いて、おそらくチェロとコントラバスなのかな?(略してチェロバス)、低音弦がナレーションを始める。そして、第1楽章の主題がちょこっと出てきて、またチェロバスのナレーション、今度は第2楽章の主題がちょろっと出て、またチェロバス。さらに第3楽章の主題も出てきて、なんだかこれまでの長い道のりを振り返っているみたいだ。あれかな、「前回までの24(トウェンティーフォー)は!」っていう感じかな。で、第4楽章の「歓喜の歌」の主題もちょこっとだけ顔を出す。なんだか予告編みたいに。そしていったん、♪じゃん、じゃん。と終止したかと思うと。

おもむろに、おごそかに、チェロとコントラバス(だったはず、確か)が静かに「歓喜の歌」の主題を奏し始める。ここ、好きなんですよ。
そして次はヴィオラがその主題を。さらにヴァイオリンへと移っていき、管楽器に主題が移ると全楽器(たぶん)による強奏となる。

で、それがまたいったん終止すると、4楽章出だしのファンファーレの後に、バリトンの独唱が始まって…

ここから先は、あなたご自身でその結末を見届けてください。


とにかく長くて、まるで大長編小説でも読んでいるような、英雄のサーガみたいなものすごい曲である。
あの長々しい第1楽章から第3楽章までを経て、ようやくあの第4楽章の歓喜の歌にたどり着いたときに、「あぁ、ここまでの道のりのなんと長かったことか…」としみじみ感じるとき、なんとも言いようのない感動に包まれる。

第4楽章だけダイジェストで聴いても、この感動は得られない。
また、退屈な演奏でも、そのような感動は得られない。

まぁ、他の演奏は聴いたことがないので何とも言えないのだけども、少なくともフルトヴェングラーのこの「ルツェルンの第9」では、その感動を味わえる。
また、1500円程度と価格も安い。

こういうすごい曲を、すごい演奏で聴くと、あらためて、名曲とされる曲は、伊達に名曲とされているワケじゃないんだなぁ、本当にすごいんだなぁ、としみじみ思うのだった。

まだ若かった頃は、そのすごさを全く理解できなかった。
今頃になって、ようやく分かった。

やっぱり、歳をとらないと理解できないことというのは、確かにあるのだ。
でも今の世の中、とにかく「売る」ことが第一で、すぐに理解できる簡単なものばかりがメディアに溢れているような気がする。
こんなんじゃぁ、文化も衰退するわな…

でも、クラシック離れ、というかクラシック音楽が衰退しているのには、聴く側の問題の他にも、演奏者側にも問題がある気がする。
つまり、例えばベートーヴェンのような音楽を、ちゃんと解釈してちゃんと演じることができる人がどんどんいなくなってきているのではないか、ということである。

なんだか軽くてちゃちい演奏ばかりが巷にあふれて、本当に退屈なCDが平気で発売されて、それを聴いた人が「なんだ、クラシックっていうのは退屈でつまらないものだな」と思ったとしても、致し方なかろう。
クラシック離れが進行しても、当然である。

いくら、のだめカンタービレのような漫画、アニメ、そしてドラマ、映画が一時的に流行ったとしても、そこで流されている演奏が三流の箸にも棒にもひっかからないようなものばかりでは、本当にクラシック音楽が広く親しまれるようにはならないと思うワケです。

だからといって、一流の演奏家なんてそうたくさんいるワケでもないし。
そんな人たちばかり呼んでいたら、出演料が払えなくなるし。
現実には、かなり難しいのは分かるけども。

分かるんだけども、なんか、残念。
ただ、それだけ。
(T_T)

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フルトヴェングラーのベートーヴェン

こないだ買った、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮、ベルリンフィルの1947年に行われた演奏会の、ライブ録音のCDについて。

曲目は、ベートーヴェン作曲の交響曲第6番“田園”と、交響曲第5番“運命”である。
実は、まったく同じ日の同じ演奏のライブ録音は、すでに持っていたのだが、そちらは音質が悪くて聴いていてどうもストレスが溜まり、まともに聴いていられないCDであった。

今回買ったのは、フランスのターラ社(TAHRA)というところが出しているもので、日本では発売されておらず、輸入ものである。解説書も、フランス語のものとその英訳しか掲載されていない。

フランスのターラ社というのは、音質の良さでは定評があるそうで、その評判に違わず、とてもよい音質で聴かせてくれた。といっても、古い録音であるから、最近の新しい録音に比べればやっぱり音質は悪い。しかし、それでもなお、当時の演奏会場ではどれほどいい音でオーケストラが鳴り響いていたか、それをうかがい知るには十分すぎるほど十分であった。

なによりもまず、フルトヴェングラーの手にかかると、あの退屈極まりない『田園』が、実に生き生きと躍動的に響いてくるというのが、すごい。

正直なところ、ベートーヴェンの田園交響曲は自分の中では、退屈で面白味のない、何がいいのか意味不明な曲の一つであった。今回、なぜそんな曲のCDを改めて聴こうと思ったのか、というと、それはこないだまで何度も繰り返し聴いていたベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の影響である。

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、平和的でのんびりした曲調で、それが退屈だと思っていたのだけども、実は逆にそれが曲の魅力なのではないか、と気づき始めたのである。
そこで、ちょっと似たキャラクターの、交響曲第6番“田園”も、同じような良さがあるのではないだろうか、と思えてきて、ちょっと真面目に聴いてみよう、と考えたのだった。
では、誰の演奏にするか?という段になって、自分の場合はフルトヴェングラー以外には考えられなかった。特に、これまでに所持していたものよりも、音質が良くて聴きやすいもの、という観点で探してみたところ、フランスのターラ社盤が良さそうだったので、買ってみたという次第である。

そして聴いてみたら。

いやまぁ、これが、すごくいいではありませんか。
あの退屈だとばかり思っていた田園が、みずみずしい生気を得て、つまらなかったフレーズが魅力あふれる歌となって、心に響いてくるではないか。

この田園は、田舎の風景の描写になっているワケだけども、今住んでいるところがまさにその田園風景そのもので。
まぁ、ヨーロッパの特にドイツの田舎と、日本の田舎ではだいぶその趣を異にするであろうけども、そういう細かいところは置いといて。
聴いていると、あぁ、そうだよなぁ、そんな風景だよなぁ…てのが頭に浮かんでくる。
特に第4楽章の、激しい雨が降ってくる場面なんかは、この辺では日常茶飯事なので、第4楽章が始まると「おぉ~っ、雨降ってきた!」と心の中で叫びます。そして、雷が鳴り響き、ひとしきり強い雨が大地を打ち、そしてやがて雨が上がる。
雨が上がると虹が出て、空が明るく青く晴れてきて…そしてベートーヴェンの感謝の歌が始まる。
この辺にくると、思わず感動してしまって涙がじわっ、とにじんできてしまうほどだ。
すごい。

そして、交響曲第5番“運命”。
こちらも、かなりすごい。あの出だしは誰もが知っていて、今さら驚くこともなさそうだけども、それでもやっぱりフルトヴェングラーは違う。今聴いても新鮮な驚きというか、迫力に圧倒される。
第2楽章のゆったりとした歌にも、隅々にまでフルトヴェングラーの神経が行き届いていて、全く退屈するところがない。
第3楽章がこれまた第1楽章のような悲劇的なキャラクターで、カッコいい。
そして第4楽章。こ、これがまた…それまでの苦悩、懊悩を一気に吹き飛ばす、明るく希望に満ちた、力強いファンファーレ。こんな結末が待っていたとは…改めて、感動を覚えた。ここでもまた、涙がにじんできてしまった。

というか、別に初めてこの曲を聴いたわけでもなんでもなく、全部知っているんだけども、フルトヴェングラーの演奏で聴くと、まったく初めて聴いたかのような、新鮮な感動を味わえてしまうというのが、すごい。

というよりも、これまで知っていた演奏が、ウソっぱちだった、というだけのことかもしれない。

映画『のだめカンタービレ』のサントラにも、この運命の第4楽章が収録されていたけども、あっちの演奏はまるでヘッポコである。軽くて中身がなくて、まったく何やってんだかなぁ、てな演奏でしかない。

第7番もそうなんだけど、そこらの三流の演奏だと、ベートーヴェンの音楽というのは、ときとして「ある音」が、なぜそこにあるのか、なぜここでこういう「音」が出されるのか、まったく分からない、演奏者が何をやっているのか、さっぱり意味が分からない、ということが往々にしてある。
例えば、ヴァイオリンのパートが何やらジャカジャカとやっている。しかし、なぜそんな音がそこで必要なのか、その音にはどんな意味があるのか、あなたは一体、何をやりたいのですか、意味が分かりません、てな演奏が実際に巷にあふれている。

しかぁし!

フルトヴェングラーの演奏で聴くと、…おぉ!そ、そうだったのか、そういう意味だったのかぁ!ぐぉお~!!と感動を覚えてしまうのであった。

つまり、フルトヴェングラーの演奏では、ベートーヴェンの音の全てが、迫真の演技で生き生きと再現されているのに対して、三流のそこらの演奏では、棒読みのただの無意味な音の羅列にしか過ぎない、ということだろう。

それだけ、ベートーヴェンの解釈は難しいということでもある。
ベートーヴェンが楽譜に書いた音の一つ一つ、その全ての意味を読み解き、そして舞台の上でそれを演じきらないといけないのだ。

演じ切れていない演奏が、あまりにも多いのではないだろうか。
ベートーヴェンは、バッハと違って誰でも演奏できるという代物ではなさそうだ。

バッハは、人に聴かせられるかどうかは別にして、下手でも素人でも、弾いて本人が楽しめる、という側面を強く持っている。
しかし、ベートーヴェンは、素人が弾いて楽しめるような甘い音楽ではないと思う。
また、解釈も非常に難しく、俺なんかにはとうてい無理っぽい。

というか、ベートーヴェンをちゃんと解釈できる人なんて、いったい世界に何人いるんだろうか?
フルトヴェングラーは、そうした数少ない人のうちの一人であったことは、間違いない。

次回は、「ルツェルンの第9」(予定)

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プロフィール

ばっかバッハ

Author:ばっかバッハ
ヴァイオリンを習い始めたのは16歳くらい。
それから30年以上の歳月が流れ…今ではアラフィフ。
年齢とともに楽器を弾くのが辛くなってきたので、ゲームで遊ぶことも。

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