日本の雇用慣行が問題だ。

今月の10日から旅行に行って、今日、帰ってきた。
丸一週間ほど練習を休んだが、今夜、さっそく再開。

今までだと、旅行に行って帰ってくると、もう移動で疲れちゃって、なんつーか、こう、体の芯が気持ち悪いというか、内蔵が疲労しているというか。
練習なんて、出来るような状態じゃなかったんだが、今回はそれほどでもなくて。
少しは弾けるくらいに、余力が残って帰り着いた。
それがなぜなのかは、よく分からない……


それはそうと、曲は前回からの続きで、バッハの二つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調BWV1043の第一楽章。
まずは、ゆっくりと確実に音を取っていく。

もうこの時点で、前よりも弾き易い。
左手指に蓄積していた疲労が、取れているんですね。
一週間も休むと。さすがに。
んで、忘れる方よりも疲れが取れることの方が大きいようで、一週間前よりも、指が楽。
音を取りやすい。
前は、とにかく毎日練習する疲労が蓄積していて、ちょっと難しめの指使いになると指が痛くて、あと柔軟性も足りなくて、頭では正しい音が分かっていても指が行ってくれない、というジレンマがあった。
しかし、今日は脳内の音の通りに指が行ってくれる……

そして一通り練習し終えたら、またJenny Yun ちゃんの弾く2ndソロ(とピアノ伴奏)に合わせて弾いてみる。
なんと、今までで一番、よく弾けた。
合わせるのが難しかった箇所も、今日は一発で上手く合わせられたし、その他の部分も余裕で弾ける。
ちょっとだけ、3の指、4の指が追いつかなくてイマイチはっきりと音が出ない箇所があるものの、それ以外は今までで一番、上手く弾くことができた。

う~ん。
どうやら、左手指を適度に休ませることも重要っぽい。
まあ、休んでばかり、ではもちろん、ダメでしょうけど。
ガリガリ、ガッツリ、たっぷりと練習して疲労して、そして適度に休んで疲労を回復する。
このサイクルが、いいらしい。

なんか、こう、日本人っていうか、ある一定の年齢以上の人たちの心理の奥底まで染みついている悪習として、休んじゃいけない、とことんまで頑張り続けることが美徳、休むのはサボりで怠けで悪だっ! 常に全力で限界までやり切らなきゃダメ!! そうしないヤツは人間じゃねぇ! 非国民だっ!!
……みたいな、バカげた思い込みがありませんかねぇ?

コレ↑、完全に間違ってますよね。
最近、テレビや新聞等で問題になる、過労死とか学校の部活動のやり過ぎ。
電通で過労により自殺した事件がありました。
ああいうのも、何かこう、間違った強迫観念に、日本社会全体が支配されている結果、起こっているんじゃないか。
電通という会社だけを罰したところで、恐らく解決しないと思うぞ。
だって、電通だけじゃなくて、日本の会社の大多数が、同じような思い込みに支配されていて、変な強迫観念に捕らわれて、とにかく働け、働け、限界を超えて頑張る人が偉い人、それが出来ないヤツは勝手におちぶれろ、みたいな。

いや、もうそんなんで通用する時代はとっくに終わってますから。
人間が能力を発揮できるとき、っていうのは、そういう、強制されて恐怖支配されて、追い込まれて追い詰められたとき、ではないですから。
恐怖で強制されて頑張ったこと、というのは、所詮は恐怖支配なので、その恐怖がなくなったら、途端にやらなくなります、人間は。
だから、根本的に間違っている。
ただ、日本は恐らく、高度成長期にそういう恐怖支配が空気になって、やらないとダメな雰囲気というのが日本全体に浸透してしまって、仕事がないのに上司が帰らないから自分も帰れないとか、そういう理不尽で不合理な変な「空気の支配」というのが社会の隅々まで沁みわたった状態で「成功」を収めてしまったから、そこから脱却できなくなってしまっているんだと思う。

でも、高度成長期は終わり、今や平成大不況がいつまでもどこまでも続く状況だ。
しかし、電通みたいな大企業ほど、かつては通用していたメソッドから抜けられず、いまだに昔の恐怖の空気による支配で押し通していて、その結果、社員の自殺みたいな形でその歪みを露呈してしまう。
でも変われないんだ。

日本中の大企業が、ぜんぶ同じようなものだから、自分のところだけ変わる、っていうことができない。
だってあっちもこっちも、み~んなこういうやり方でやってるぜ? なんで俺ンとこだけ変えなきゃいけねぇ~んだよ。俺だけ変えたら、俺だけが損するじゃねぇか。変えられるワケね~だろっ!!
っていう状態に、日本中の会社という会社がことごとくはまり込んでしまっているんですね。
だから、日本経済はいつまで経っても回復しない。
いつまでもいつまでも、不況のまま。
そして、グローバル化する国際経済の中で、日本がどんどん取り残されて負けていく。

これは、法律やら制度やらを、国や行政がいじくって変えられるような、そんな生易しいものではない。
日本中に深く広く浸透してしまっている悪習だから。


新卒一括採用、っていう雇用慣行も、電通の過労自殺事件と密接に関係している。
なにしろ、一度でも会社を辞めたら、もう二度と同程度の待遇で雇ってくれるところはないんだから。
簡単に、自殺するくらいなら会社を辞めればよかったのに、という意見を言う人がいるが、日本の雇用慣行は、会社を辞めるという選択肢をそもそも許していないのである。

大学新卒時に就職しなかったら、一流企業には絶対に就職できない、という雇用慣行なのである。
一度でも中途で退職しようものなら、もうその後は、待遇で劣る会社しか雇ってくれるところはない。

新卒でつかみ取った一流企業の正社員という身分を守るためには、絶対に辞めないで定年まで勤めあげることが絶対条件なのだ、今の日本では。
だから、どんなに仕事がツラくても、辞めることができない。
根性があって将来を見据えるだけの知性を持ち、責任感のある人ほど、無理して仕事を続ける。
そして、自殺するまで追い込まれる。

これは、電通という一つの会社だけに責任を負わせて済むような、そんな簡単な話じゃなく、日本という国、全体に沁みわたってしまっている、悪い雇用慣行のせいなのであって、電通一社だけをスケープゴートにして罰してみたところで、解決するような問題ではないのだ、本当は。

でも、じゃあ、どうしろっていうんだよ!?
ってなると、これがまた非常に難しい。
新卒一括採用とかいう雇用慣行というのは、法律で決まっているようなことではないから、法律を変えてどうにかなるモノではない。
日本全体に沁み込んでしまっている「悪習」なので、それを意図的に変える方法が果たしてあるのかどうか、むしろないんじゃないか、と絶望的な気分にさせられるほど、難しい問題だと思う。


ただ、多くの人がそこに気づく、というのがまずは第一歩だと思うので、大した影響力もないこんな零細ブログでも、ちょっとは書いておくことで微弱ながら影響があるかなぁ~、と願いつつ。

あれ、こんな話するつもりじゃなかったんだけどなぁ。


とりあえず、明日からは、旅行についての話でも書き連ねていきましょうか……あるいは書かないか。


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コンクールに見るスパルタ式音楽教育。

孫のRちゃんは、ピアノも習っている。
そして、ちょっと某コンクールに参加してきた。


まあ、参加した、とは言いましても、前から言っているとおり、ちょっとぶきっちょで基礎的筋力が足りてないので、テクニック的にどうしても脆弱なところがあり、ミスタッチが出てしまって入賞はできませんでしたけども。

でも、審査委員長はかなり慧眼の持ち主だったらしい。
ウチでは、あまり厳しく超絶スパルタで完璧に弾けぇっ!! ……というような指導はしていなくて、音楽っていうのはそもそも、楽しいもの、感動するもの、心に沁みるもの、だからやるモノだ、という位置づけ・スタンスでやってます。


入賞は逃したものの、そこら辺は、見る人が見るとちゃんと伝わるんですね。
ミスタッチで入賞はできなかったけども、音楽的な面では、すさまじくお褒めの言葉をいただくことができた。

ちゃんと、分かる人にはわかるんですね。


しかし、問題は(?)他の参加者の子たちでした。
娘(ママ)が言うには、ものすごく、凄まじく厳しいピアノの先生が来ていたらしいんです。
その先生の生徒が、何人か参加していた。

ところが、その先生というのが、見た目は綺麗系なんだけども、とにかくとんでもなくキツくて、厳しいというか、何というか。
まず、「誰か一人でも入賞しなよ!」的なことを子どもたちに言っていたという。
いや、まだ小さな子どもたちですよ?
入賞する、しないは、本人の責任というよりは、指導者(先生)や親の責任なんじゃないの。

だからこそなおさら、なのでしょうか。
その先生についている親すらも、その先生と同じスタンスで子どもに接していて、本番でついつい、弾き損じて弾き直ししてしまった子がいたんですね。
そしたら、その母親が、もう般若のような形相でその子を睨みつけていたのだそうです。
たぶん、会場を後にしてから、猛烈な勢いで怒られたに違いありません。
可哀そうすぎる……

いや、それでうまくなるんなら、それでもいいですけど。
恐らく、100%、うまくならないでしょう。

むしろ、委縮しちゃって、恐怖におびえて、ますます、ピアノが嫌いになるに違いない。
ピアノは恐怖の対象でしか、なくなる。

完全に、親も先生に洗脳されて、先生のやり方・指導法に感化されて、それで子どもに接してしまっている。


娘(ママ)が言うには、その先生の生徒の子たちは、お辞儀の仕方にかなり独特の特徴があって、まるでオペラ歌手か? ってな感じの、妙に気取った変な頭の下げ方をしていたらしい。
他の子は、ただ普通に礼をするだけなのに。

娘(ママ)としては、その礼の仕方も鼻持ちならなくて気に入らなかったらしいけども。

その先生の生徒たちの演奏は、ワタシも聴きましたが、たしかに立派に、間違えず完璧に弾いてはいるのです。
でも、面白くもなんともない。
つまらない。
感動しない。
魅了されない。

そんなもの、音楽と呼べませんよね。

審査委員も、その辺は当然ながらよく分かるらしく、その先生の生徒は一人も入賞していなかったそうです。

公正な審査で、良かった……

でも今ごろ、そのピアノの先生は、一人も入賞しなかったのはすべて、生徒の子たちが不甲斐ないせいだ、お前たちがだらしないから、こんな残念な結果になったんだ! 反省しろっ!! とばかりに、子どもを猛烈に責めていることでしょう。

いや、違うから。
お前の指導法が、根本的に間違ってるせいだから。
親も、そんなバカ先生に感化されてないで、もっと真実に気づけよ。


結局、完璧に間違えず弾け! というスパルタ指導の下では、そうやってミスする子が出てしまうし、審査委員にもアピールするものが何もない、無味乾燥でつまらない、ありきたりの誰でもできる、棒読み演奏しか、できないのだ。

それに、まったく気づいていない。
自分のやり方が、絶対的に正しいのだ、と信じて疑っていないのですね。
馬鹿すぎますね。

娘(ママ)が言うには、その先生の生徒たちはみんな、ネガティブでびくびくおびえていて、とても音楽をするような雰囲気ではなかった、とのことです。


完璧に、間違っていると、ワタシなんかは思う。
そもそも、音楽はコンクールのためにあるワケでもなんでもありません。
コンクールというものがこの世からなくたったとしても、音楽だけは、あり続けるのです。

これは、漢字とか数学が、テストのためにあるワケでも何でもない、というのとまったく同じ。

テストなんていうものがなくなたって、漢字も数学も、この世にはあり続けるし、有効性には何の毀損もないのです。


音楽の本質は、結局は、聴く人に楽しんでもらう、ってのがその存在意義であって。
別に、コンクールで入賞することが、音楽の存在意義でもなんでもない。

そんなものは付随した、ついでみたいなものであって、音楽の本質、存在意義とは、まったく無関係。

ただ、「コンクール入賞!」っていう肩書が必要とされる場面があるとするならば、それはやっぱり客を集めるための権威づけですよね。
コンサートを開く、あるいは教室を開く、というときに、お客さんをどれだけ集められるか? っていうのが懸かっている場面で、○○コンクール優勝! とかいう華々しい肩書があれば、それにつられて寄ってくるお客さんが何人かはいるでしょう。
そのため、ということなら、それなりに意味があるのかもしれない。

しかし。

何々コンクールで優勝しました、とか、そんなような仰々しい肩書を持っていたとしても、実際の演奏がつまらなかったら、コンサートにお客さんは来ません。
だって、チャイコフスキーコンクールだとか、何だとか、毎年開かれているんでしょう?
でも、その優勝者が日本で有名になることなんて、ほとんどないじゃないですか。
あ、辻井伸行がいましたね。
でも、彼くらいなもの。
他にも、毎年毎年、優勝者、入賞者は出ているハズなのに、誰も有名にはならない。

生徒を集めるにしても、肩書に惹かれて集まってきたとしても、実際に人を指導する技量が欠けていれば、人は離れていく。

逆に、いかなるコンクールにも入賞したことがなく、そんな肩書は何もない、としても、演奏が面白くて魅力的であれば、おのずと人は集まるでしょう。


音楽の本質と、コンクールは、直接的につながってはいないのです。
ただ、マーケティングの際に箔が付く、というか、対外的にアピールできる宣伝文句に使える、という程度のもの。


そんなもののために、子どもを恐怖で支配して、完璧に間違わずに弾くことを強要し、それができなかったら般若のごとき形相で烈火のごとく怒る。
子どもは、恐怖から逃れるために仕方なく、いやいや、しぶしぶピアノに向かう。

そんなんで、その子どもが、聴衆を楽しませる、感動させる、心にジンと来る、そんな演奏が出来る奏者に育つのでしょうか???

育つハズも、ありゃしません。

しかし、それでも、まだまだ、そんな強権的な、恐怖支配のおよそ非音楽的な、変なスパルタ音楽教育がはびこって、それを支持して洗脳されている親がいて、そんな親と教師の下で無理やり強制的にピアノを弾かされている子どもがいて、そんな子どもたちが、実際にはクソ面白くもないつまらない演奏を繰り広げ、そしてコンクールではことごとく落選させられている、という現実は、今でも根強く残っているのを垣間見たのであった。



実に嘆かわしい現実である。




孫のRちゃんは、今回の失敗を教訓にして、さっそく、完璧に弾くにはどうすればいいか、ワタシのレッスンを受けて、ものすごくやる気になっている。
これだけでも、今回、コンクールで入賞を逃したのは、いい経験だったと言える。
すべて、無駄な経験などというものはない。

コンクールで入賞できなかった。
恐らく、上で述べた強権的な先生なら、それは自殺ものの大失敗で、極大叱責ものの大不祥事なんだろう。

でもそれは明らかに間違い過ぎ。
あらゆる失敗、不成功は、次につなげるための教訓である。

今回はうまく行かなかった、それならば、次にどうすればよいのか?
それを考え、粛々と実行に移す。

ただ、それだけである。
子どもには何の責任もない。
指導者たる先生、そして親等(祖父母含む)の対応の仕方を考えるべき案件であって、子どもの責任にしている場合ではない。

子どもの責任にして逃げる、というのは、ずるくて卑怯極まりない、大人のエゴである。
そういうの、この世から撲滅した方がいいよ。

いやいや、マジで。



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飲酒でがん発症!?

飲酒でがん発症のリスクが高まる、という調査結果があるらしい。

飲酒によるがん死者、2012年に36万人 国連機関調査

これだけ見ると、飲酒→がんになる→死ぬ、という風に思えてしまうけど、本当にそうなのかねぇ?
よく読むと、統計的に、飲酒をする人としない人のがん発症率を調べて、飲酒する人の方が発症率が高かった、という結果を得た、というだけの話だったりする。

まあ、飲酒する人の方が、しない人よりがんの発症率が高かった、というのは事実なんでしょう。
しかし、これをもって飲酒ががんの原因だ、と断じることはできないわけです。
よ~く読むと、「その発症機構については『正確には分からない』という」などとも書かれています。

統計的には飲酒する人の方ががん発症率が高かったけども、飲酒がなぜ、どのようにがんの発症と関わっているのか、飲酒ががんを誘発するメカニズム、正確な因果関係までが解明されたわけでも何でもない、ということになります。


ここらへんが、医学のウソであります。
鵜呑みにしない方がいい。


ワタシが思うに、飲酒する人、っていうのはワタシも含めてですが、多くがストレスを抱えていることが多いと思う。
やっぱり、いやなこととか、きつい現実とか、そういうのを紛らわすためにとりあえず飲酒しておく、という人は多いんじゃないかな~(この辺はただの印象だけど)。

そうすると、がんを発症する原因というのは、飲酒じゃなくてその前のストレスにあったんじゃないの? という疑問が生まれるんですね。


っていうか、ワタシなんぞは、がん発症の原因はストレスが100%だろ、と考えていますけどね。
ストレスが、がんの最大の原因。

で、ストレスを抱えている人は、飲酒したり、喫煙したりする率も高い。
だから、本来の原因であるストレスがスルーされて、飲酒や喫煙ががんの原因だ! などと言われちゃってるだけなんじゃないか。
そのように疑っております。
医学って、案外アテにならないところありますからね。


人間の寿命を縮める一番の原因は、不摂生や生活習慣とかよりも、ストレスが最大にして唯一のものだと、ワタシは考えている。
だから、フィンランドの調査研究で、医者の言うとおりに生活習慣を改めて生活したグループと、そんなことしないで好き勝手に生活していたグループを追跡調査して寿命の長さを比べたところ、なんと、後者の好き勝手グループの方が長生きだった、という、なんとも不都合な結果が出てしまったらしいじゃないですか。


出典は近藤誠著『「余命3か月」のウソ』




結局、医者からあれダメこれダメ、あれしろこれしろ、と言われるのを我慢して頑張ってやったら、そのストレスで寿命が縮んだわけですね。

飲酒ががんの原因だっ! → 飲酒を控えよう
その結果、断酒のストレスでかえってがんになる、ということは十分にあり得ます。
とはいえ、過度の飲酒はがん以前に肝臓をダメにしますからな……
そっちで死ぬかもしれませんけどね。


まあ、それはともかく。
日本人の多くは、医者信仰が強すぎます。
ちょっと風邪ひいたら、すぐ医者に行く。

海外では、風邪ひいたくらいで気軽に医者には行かないらしいじゃないですか。
家で治るまで寝てることが多いそうで。

何しろ、風邪を治す薬というのはこの世に存在していない、と言いますしね。
あれは症状を緩和しているだけで、治してはいないのだとか。
治るのは、結局最終的に人間自身の体が持っている自然治癒力で治っている。
じゃあ、薬はなんだったの(笑)
逆に体に負担かけて、寿命を縮めていることが多い。

だからって、薬を全否定するのもまた間違いで。
緊急を要する、すぐに症状を緩和しないとやばい状況もあるわけでして、そういうときは使うのもやむを得ない。
しかし、今の日本みたいに、何でもかんでもすぐ薬、風邪ひきゃあ薬、お薬出しておきますね、これは明らかにおかしい。

そしてそれを真面目に飲んで、逆に副作用でおかしくなってる患者もダメすぎでしょ。


糖尿病、ってのがある。
あれ、血糖値を下げる薬、ってありますよね。


あの薬を、医者の処方どおりに真面目に毎日欠かさず飲み続けたら、どういうことになるのか。
血糖値を下げるのを、薬に頼って、薬に下げてもらっていたら、体が本来持っていた血糖値を下げる機能は、ますます衰えてしまいますよね。

だから、薬を飲めば飲むほど、どんどん血糖値を下げる力が弱まって、病状は悪化していく。
やがてインシュリン注射、合併症、足を切断だとか透析だとか、ますます医者が儲かるという仕組みですよ。


便秘だって同じ。
便秘薬に頼って出していると、ますます自分で排便する機能が弱まって、薬に頼らなければ出ない体になっていく。

それって、ますます病状が悪化しているわけです。

薬っていうのは、病気を治すものではないのです。
頼ってばかりいたら、ますます自然治癒力を弱体化させ、病状を悪化させる代物なんですな。


そんなものを有り難がって毎日欠かさず飲む患者、ってのも、頭悪すぎるのでもっと医学の何たるかを学ぶべき。
医学のウソに、多くの人が騙されている。
騙す方も悪いけど、騙される方も同じように悪いです。

無知は罪なんです。

自分の体を壊すだけじゃなく、家族にも迷惑を掛けますからね。

まあ、大した影響力もないこんな零細ブログで吠えても、あまり意味ないんですけどね。



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左翼の本質は攻撃衝動・闘争本能

日本共産党とか民進党、朝日新聞といった左翼の人たちは、本当にクソでカスだな、と最近すごく思う。


スポーツとか、ゲームとか、なんでも、「戦って相手を倒す!」という要素のあるものに、世の中の人は夢中になりますよね。
けっきょく、そういう「戦って相手を倒す!」ってのが、多くの人は好きなんですね。
まあ、俺もだけどさ。


でも、現実にたとえば隣の人を、いきなり殴り倒したりしたらこれは問題で、犯罪行為になってしまう。
そこで、そうした攻撃衝動・闘争本能を合法的に満足させる手段として、スポーツとかゲームがあるのかな、と思うワケです。


で、タチの悪いのが先に挙げた左翼の人たちで、この人たちは、「安倍首相は悪」「安保法制は戦争法で絶対悪」「原発も悪」と言う風に攻撃対象を「悪」に仕立て上げ、それを攻撃することで「自分たちは悪を攻撃している。それは正義だから正しい行いなのだ!」と自分を正当化して、自分たちのウチに潜む攻撃衝動・闘争本能を満足させようとしているんですね。

冷静に見てみれば、阿倍内閣がそんな極悪きわまりない非道な集団であるハズがないし、安保法制もその中身は全然戦争法でもなんでもないし、原発にしてみたところで、福島の事故では放射能による被害は思ったほど大きくなかった上にその他の原発の災害対策だってこれでもかというくらいに入念に微に入り細に入りお金を掛けてやり過ぎるくらいにやっている。

左翼の人たちが描き出すような、極悪な倒すべき悪人ていうのが、本当にこの日本にいるのかな? と思って冷静によ~く見てみると、そんな極悪人なんて、実際には存在していないことに気づくんですね。

左翼の人たちは、ただ「極悪人」をねつ造して仕立てあげて、「悪を攻撃するのは正しい行為だ」と自らを正当化して、とにかく自分の「攻撃衝動・闘争本能」を満たそうとしているだけにしか、見えない。

いったい、日本共産党とその下部組織等が描き出すように、自民党はそんなに極悪な集団なのだろうか。
日本共産党が描くように、自民党のせいで日本は、ものすご~く住みにくい、ヒドい劣悪な国になったのだろうか??

なってませんよね。
むしろ、高度経済成長によって豊かになったときに政権を取っていたのは自民党で。
今は大不況になっちゃったけども。
まあ、それでも、他国にくらべたら、まだ日本は住みやすい国なんじゃないだろうか。
別に、日本、嫌いじゃないですよ、わたしは。

むしろ、左翼の人たちが日本を住みにくく、経済的弱者をますます追い詰めている、という事実があるのに、気づいていないのだろうか?

左翼の人たちって、基本的に原発反対ですよね。
そのせいで、日本中の原発が停まっている(2基ほどを除いて)。

先の熊本地震のときだって、近くにある川内原発を停めろ、とか主張していた。
原発が停まっているせいで、何が起きているのか、分かっているのか。
分かっているのに、知らないふりをしているのか。

原発が停まっているせいで、代わりに火力発電を動かすことにより、その燃料費(原油とかLNGですね)が莫大に掛かっているという事実がある。
その額、1年に約3兆円程度である。
そんな莫大な額の損失を電力会社がかぶっている。
そして、それは電気料金の値上げとして私たち一人ひとりのふところを直撃しているのである。
これは、経済的弱者、所得の低い人ほど、重い負担となってのしかかっているハズだ。

結局、左翼の人たちというのは、弱者の味方、正義の味方、みたいな顔をしてそのような主張をしてはいるが、その実態は、上で見たように逆に弱者に負担を押し付け、弱者を追い詰めるようなことをしているのである。

反原発の人たちが描くように、原発というのはそんなに極悪非道な発電施設なのか?

俺には、ただ「悪」をこしらえ上げて、それを叩くことで自分こそ正義! と正義ヅラしたいだけにしか見えない。
ほんとうに日本を良くしよう、庶民の暮らしを良くしよう、などとは、本気で考えてなどいない。
結局、阿倍政権や自民党を叩くための材料にしているだけなんだな、まったく胡散臭い連中だ、としか思えないのである。

この日本に、そんな倒すべき「絶対悪」なんて、存在していない。
正直、左翼の人たちは、ジャンプの漫画とか、戦隊ヒーローものとか、プリキュアとかの観すぎなんじゃないの?
そこには、分かりやすい倒すべき「絶対悪」が登場する。
そしてその「悪」を華々しく倒す「正義」がある。

そういうお子様向けの童話・神話が、現実世界にもあると思い込んでるんじゃないの。
幼稚すぎるよ。
そんなのは漫画の中だけの世界の話で、現実の世界に、そんな「絶対悪」なんて存在してないよ。
空想と現実の区別もついていない、精神的幼児が、左翼に走るということだ。

ネット上で何かと話題の「五寸釘ほなみ」や「SEALDs」といった人たちは、まさにその典型例。

彼らの暴力的な言説、まさに「言葉の暴力」は、その行動原理が「攻撃衝動・闘争本能」に基づいたものでしかないということを如実に物語っている。


追記:日本共産党は、経済的弱者の味方のような主張をしている割には、選挙になるとその経済的弱者から「選挙カンパ」と称して選挙資金を搾り取っている。むしろ極悪なのは、左翼の方だと思う。

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テーマ : サヨク・在日・プロ市民
ジャンル : 政治・経済

高嶋ちさ子ゲーム機破壊の補足

さっきの記事に補足。

アル中の人から、酒を取り上げたら虐待なのか?
シャブ中の人にシャブ抜きするのは、虐待なのか。

ゲーム中毒の子どもからゲームを奪うのは、虐待ではないだろう。
やり方が激越だっただけで、その目的は十分に教育的であると思うし、愛情に基づいた行為だと俺は思う。


実は、ウチでも、孫のRちゃんが一時期、3DSに目覚めてしまったことがあって……
どうしても、妻(ばーば)が甘くて、やらせちゃったから、覚えちゃった。
そうしたら、四六時中、ゲーム、ゲーム、と言うようになってしまって、ママ(娘)が非常に危機感を募らせまして。

なぜなら、保育園の同級生に、朝からゲーム、家に帰ると夜もゲーム、とゲーム漬けの子がいまして、その子がもう、保育園ではただひたすら、ぼーっとしていてお遊戯もできない、音楽会でも何もできない、読み書きもロクにできない、という有様だったものだから。

本来だったら、もっと家族との間での触れ合いを通じて、学んだり身につけること、あるだろうに……

んで、いろいろあって(大喧嘩とか、責任のなすりあいとか、醜い大人の抗争(笑)、笑いごとじゃねーよ)、結局、ゲーム封印、となった。
まあ、孫の目の前で破壊、とかはなかったけど、なぜかそういうのが問題になってきたタイミングでちょうど、ぼくがついうっかり、3DSをコンクリートの上に手をすべらせて落下させちゃってね。
意図はなかったんだけど、無意識に「これは無いほうがいいのかも」という気持ちから、手をすべらせちゃったのかもしれない(フロイト的解釈)。

んで、見事に折れ目から真っ二つに(笑)
まあ、すぐにニンテンドーに送って修理してもらったけど、結局、ないことになっていて、ぼくも返送されてきた箱から出す気も失せ果てて、開封もしないで事務所の隅っこに転がったままだよ。

ゲームなんてなくたって、人間は生きていけるんだよ。
ゲームはコミュニケーションツールだ! なんて言ってるヤツは、すでにゲーム中毒に罹患してんじゃないの、かなり重度の。

ゲームがコミュニケーションツールだとしても、それ以前に、コミュニケーション自体をゲームから学んだり身に着けることはできないでしょ。

ゲームの前に、まずは家族や、友だちやらと、直接顔を合わせて言葉を交わす、というところからコミュニケーションを学ぶ。身に着ける。
その後で、ゲームを介したコミュニケーションも成り立つよ、という順番で来るんじゃないの?

あの赤木って人、本当にマトモにモノを考える脳力あんのか?
バカなの?

あ、やっぱゲーム中毒だから、もうマトモな思考力がマヒしてんだね。
そんな人が、偉そうにフリーライターだかブロガーだか知らねぇけど、BLOGOSとかで大々的に情報発信しないでほしいもんだな。
物事をよくわかってない人が、真に受けて信じるじゃないか。
っていうか、ネット上の言説を見る限りだと、どいつもこいつも赤木と同レベル、同思想で、反吐が出る。
もっと違う意見、ねーのかよ?

つーことで、黙ってられなかったので、書いてみた。

あ、あと、ゲーム機を破壊された報復として、高嶋ちさ子のストラディヴァリウスを破壊してやれ、みたいな激越な意見を述べてるバカもいたけど、ゲーム機一つとストラディバリウスじゃあ、価値が全然違うし。

ゲームをいくらやっても、誰もほめないし、何の役にも立たない。社会的に。
しかし、ヴァイオリンやピアノといった楽器に習熟するというのは、人前で演奏して、聴き手を楽しませたり感動させたり、場の雰囲気を盛り上げたり、社会的に有用性があるのである。

だから、ゲーム機とストラディヴァリウスを同列に論じることはできないし、同列に論じてる時点で社会経験が著しく不足しているんだろうしマトモな一般常識もない、ということがうかがえる。

そんな馬鹿みたいな言説を、真に受けて信じる人がいないことを切に願うばかりである。

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プロフィール

ばっかバッハ

Author:ばっかバッハ
ヴァイオリンを習い始めたのは16歳くらい。
それから30年以上の歳月が流れ…今ではアラフィフ。
年齢とともに楽器を弾くのが辛くなってきたので、ゲームで遊ぶことも。

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