楽しく合わせられるようになった。

ここのところ、どうも疲れちゃって。
暑さでバテてる、というのもあり。

最近、雨が多くてそこまで暑くはない、とは言っても、やはり暑かったときのバテが体に残っていて、いつもダルいし眠い。


なので、練習は休み気味に、一日おきくらいにしていた。
しかも、ヴィオラは休んでヴァイオリンだけ。


曲も簡易に、無伴奏はお休みにしていて、もっぱらバッハの二つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調から第1楽章。


これを、毎度おなじみ、Jenny Yun ちゃんの動画(からCDに落とした音源)に合わせて弾くのだけど。

これが、なんと、日々、弾けてきた。
前は、あのスピードについていくだけでとてもじゃないが精一杯というか、いっぱいいっぱいというか、必死すぎて、それでも合わせられてなくて、合わせるだけでヘトヘトに衰弱していた。


それが、かなり余裕で合わせられるようになってきた。
驚いたことに。

2ndのソロパートとピアノ伴奏(本当はオケだけど)の動きを、よ~く聴きながら、それにぴったり合わせて弾くことができるようになってきた。
まだところどころ雑いけど、すべて完璧にキレイに合わせて弾けたら、もっとたのしくなるね。


やはり、1日おきに練習、というのがいいのかもしれない。
1日おくと、疲れが取れて、左手指に疲労が残っていない状態で練習ができる。

左手指の筋肉が、あまり痛くないんですね。

そして、あのスピード感にも、かなり慣れてきた。
バッハのあの曲特有の、二つのヴァイオリンがメカニカルに絡み合うあの独特の感じ。
あれを、初めて楽しみながら弾くことができた。

すげぇ……


もうずーっと前に、あれはもう、30年以上前なのか……?
発表会で、2ndパートで弾いたことがあったハズなんだが。

あの時は、相手のパートを聴いて合わせる余裕なんてなかったし、1stとの絡み具合を弾きながら楽しむ、なんていうことは一切、できなかった。


でも今は、それができる……
しかも、合わせて弾いても、それほど疲れない。
余裕で合わせられている。

多少、指が追いつかなかったり、弓が跳ねちゃったり、そういうアラはあるものの、おおむねゆとりを持って、最初から最後まで通して合わせられるようにはなった。

すごいな……


一時は、いくら頑張っても、余裕で合わせられる日なんて来ないんじゃないか、いつまで経っても左手指が痛くて、まともに弾けないままなんじゃないか……という弱気な気持ちがきざしてきたときもあったのだが。
でも、そういうネガティブな言葉は、こういう場所で書かないようにしているんですよ。

だって、書いちゃうと、自己暗示にかかって、「やっぱり自分はできないんだ」という思い込みが無意識下に入り込む。
そして、その通りの現実を作り出す。
「ほうらね、やっぱりできなかったでしょ」と、まるで予言が成就したかのように思う。

これは、間違い。
ただの、悪い思い込みにすぎません。

だから、できないとか、ダメだとか、そういうネガティブな言葉は、できるだけ書き込まないように気を付ける。
だからといって、無理にできるとか、やれるとか、頑張るとか、そういうのも、あまり書かない。

無理はしない。
日々、地道に修練を重ねるだけです。
無心に。

そうすると、不思議と成果が表れてくる。


それはそうと、上で述べた「思い込み」というヤツ。
これは、エセ占い師がよく使う手口です。

エセ占い師が、「あなたは○○で、○○のようになるでしょう」とか何とか、もっともらしいことを言う。
言われた方は、「あ、そうなのか、○○なのか!」と思い込む。

そうすると、無意識に、その思い込み通りの現実を作り出してしまう。
そして「あっ、占い師さんの言った通りになった! やっぱりあの人の占いは当たる! すごい!!」ってなってしまう。

いや、それ違うから。
ただ単に、占い師に操られているだけですから。


熱心な信者は、そうやってますます、占い師を信じ込むようになり、ますます、占い師の言う通りの現実を作り出しては、当たった、当たった、と喜んでいる。


おかしいですから。


人の未来を、そんな正確に確実に予言できる人なんて、この世に存在しません。
昔から、占い師の手口は、上記のような無意識下に思い込ませてその通りの現実を作り出させていく、というそれだけのこと。


実際に、身近にそういう出来事があるから、危機感を覚える。
ヒドいのになると、占い師が「あなたは自殺しますね」と客に言ったそうだ。
そしたら、その客はホントに自殺したんだそうです。
その出来事から、「占い師の言った通りになった、すごい、すごい」とか言ってる人がいたんですよ。

いや、これ、明らかに違うでしょ。
自殺したいなぁ、と悩んでる人に向かって、「あなたは自殺します」なんて言ったら、言われた方は「ああ、そうか、やっぱり自分は自殺するのか」と思い込んじゃって、そりゃあ、本当に自殺してしまいますよ。
これは、占い師がその人を殺したようなモノなんですね。
占いでもなんでもない。
人にそのように思い込ませて、自殺にまで誘導してしまう。
もはや犯罪の域です。
こういうことが、もう30年か40年くらい前だけど、実際にあった。

まあ、自殺とかそういう激越なところまではいかなくても、似たような事例は現在でも日本のあちこちでいまだに行われている……

おっと話しが逸れた。

まぁ、別にもともと大した話はしていないから、逸れようがどうしようが、割とどうでもいいのですが。


にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ ヴァイオリンへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ ヴィオラへ
にほんブログ村
スポンサーサイト

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

一度出来たことは、二度出来る(らしい)

今夜は、これまででも特に暑い気がする。
とてもじゃないが、バテてしまって練習どころじゃない。

なので、簡略版で。


バッハの二つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調BWV1043から、第1楽章のみ。
ソロの1stヴァイオリンパートを、まずはゆっくりと遅めに、がっつりと強めに押さえて、指使いを左手指に覚え込ませる。


それから、おもむろにJenny Yun ちゃんの動画から落とした音源に合わせて弾いてみる。



こないだ、初めてバッチリ合わせることができたのだけど、今日も合わせることができた。
前は、どうもごちゃごちゃ何やってるか分からなくなって、どうしても合わない箇所があって、ソロが出てくるところでどうにか辻褄合わせて弾いていたのだったが。
ようやく、ちゃんと合わせて弾くことができてきた。

これは、アレだ。
自転車って、一回乗れたら一生乗れる。
泳ぐのも、一回泳げたら一生泳げる。

それらと似ていて、一回合わせられたら、もう後は、本能で合わせられるみたいで。

人間の持つ潜在能力って、すごいな、と思う。
自分では、こないだ合わせられたとはいえ、今日も出来るかは分かんねぇよな~、なんて最初は思いながら弾き始めてるワケです。

でも、弾き始めてみると、思ってたよりすんなりと合わせることができる。
あぁ~、一回出来たら、また出来るモノなんだ、と感心した。


人間、自分が出来るかできないか、意識レベルではそれすら把握できてないんですね。
出来ることでも、出来ないんじゃないか、と勝手に不安に駆られている。

でも、本当は出来る。


無意識レベルでは、しっかりと経験が積み重なって、残っている。


不思議なものですね。


人間って、自分が何を覚えているか、それすら自覚できてないことがありますよね。
急に、昨日とかの記憶が鮮明によみがえってきて、あれ、自分、こんなこと覚えてたの!?
って驚くことが、こないだあった。


自分のことなのに、全然、把握できてない。


だから、自分は出来ない、ダメだ、と決めつけてしまうのは、良くない。
というか、間違ってる。


出来るか出来ないか、なんて、自分の意識レベルでは完全に把握なんてそもそも出来てない。
本当は出来ることでも、出来ないと思い込んでいることがある。


日々の練習は、自分の無意識下に、弾く手順というか、指使いというか、そういうものを浸透させて覚え込ませる過程だ。
その結果がどうなるかは、意識レベルでは、まだ分からない。

しばらく後になって、その成果が結実してくる。


だから、結果を焦らず、だからといって変に期待もせず、ただ毎日、地道に練習を重ねるしか、ない。


毎日毎日、ただ無心に、ひたすら練習を繰り返していると、いつの間にか、知らないうちに、自分の無意識下に練習の成果が蓄積されて、ある日、それが開花する。


そういうモノです。



バッハの二つのヴァイオリンのための協奏曲の第1楽章は、この感じで、Jenny Yun ちゃんのテンポに完璧に合わせられるように、修練を重ねていくことにしよう……


あのテンポにも、かなり慣れてきた。
もう少し、左手指が敏捷に動ければいいのだが。

つーことで、今日は暑いので練習は終了。
ヴィオラはお休み。

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ ヴァイオリンへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ ヴィオラへ
にほんブログ村

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

クソムズい曲を無理やりさらうと向上する。

ここのところ、どうも疲れちゃって。
あまり練習できず。


なので、無伴奏系は少しお休み。


ヴァイオリンで、バッハの二つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調第1楽章を弾いたり、コレルリのラ・フォリアを弾いたり。


バッハの二つのヴァイオリンの方は、ず~っと前に、Jenny Yun ちゃんという韓国のヴァイオリン・アイドル(なんじゃ、そりゃ(笑))が、1stVnパートを抜いたヴァージョンをYouTubeにあげていたので、それを録音してCDに落としたものに合わせて弾いてみたんですね。

そしたら、以前よりも合わせられるようになっている。
前はテンポが速すぎてとてもついていけなかったのが、今はどうにかついていけなくもない。
それに、前は何度やっても合わなくて苦労した箇所が、今回は初めて、バッチリ合わせることができた。


どうやら、バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番のような、クソムズい曲を無理やりに弾き続けたおかげで、テクニック的に少しは向上したらしいのである。


あと、コレルリのラ・フォリア。
これも、前はけっこうCDに合わせて弾くとなるとかなり苦労していた。
しかし、今日になって合わせてみると、前よりも心にゆとりを持って合わせることができるようになっていた。
チェンバロパートをよく聴くことができる、というか。

前は、余裕がなくてかなり必死こいて合わせていたものだったが。
今日あたりは、かなり落ち着いて合わせられる……

前はテクニック的に難しくて余裕がなかった部分でも、今は前よりは楽に弾き進めることができる。
とはいえ、まだまだ完璧に弾けるとまではいかないが。


どうやら、バッハの無伴奏みたいな、とても弾けそうもない、激ムズな曲を、その難しさなどものともせず、無理やりに毎日毎日、弾き続けていると、それなりにテクニック的に向上するらしい。

少し、弾く力がアップしているのを感じた。

「弾く力」っていうのは、一つの曲を、最初から最後まで、間違えず、止まらず、弾き直さず、曲として音楽的に歌って、完成形として弾き切る、そういう力のことを指しています。


練習弾きをいくらしても、それは「弾く力」にはならない。
本番弾きが、どれだけできるか?
それが「弾く力」。

これが、衰えが激しくて。
やっぱり、人前で弾く機会が少なくなると、おのずと衰えるものですかね。


体力的にも衰えてるしな~。

あ~、もう。
なんか、眠くなってきてダメだわ。



にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ ヴァイオリンへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ ヴィオラへ
にほんブログ村

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

モーツァルトのすごさ。

最近、モーツァルトにハマり気味。

ヴァイオリンソナタ(ヴァイオリンとピアノのソナタ)第25番ト長調K301を今日はちょっと真面目に練習して、CDに合わせて弾いてみたり。
これ、意外にすごくいいですね。


もう何年も前のことになるが、Yahoo!知恵袋あたりで、モーツァルトの良さは歳をとらないと分からない、だとか、モーツァルトなんてクソつまんねぇだとか、言われていたりしたものだった。


歳をとらないと良さが分からない。


確かにその通りだった。


最近になって、ようやくモーツァルトの本当の良さが分かってきたような気がする。
若い頃は、全然わかっていなかった。

いや、アイネ・クライネ・ナハトムジークだとか、超有名極まりない曲は別ですけどね。
ヴァイオリンソナタみたいな地味な曲になると、その良さを理解できるかできないか、ってのは、モーツァルトの真価を本当に分かるか否かの試金石となる。


今弾いているト長調K301は、むか~しむかし、習っていた先生が良く弾いていた曲でもあった。
正直に率直に言いますと、当時はその良さがまったく理解できなかった。
なんて退屈でクソつまらねぇ曲なんだ、と思ってた。

でも最近になって自分で弾いてみて、こ、これは……めちゃくちゃいい!
とんでもなくいい曲だッ!!
と思えてきた。


これはただ単に、ワタシが歳を重ねたせいなんだと思われる。
歳をとらないと、その良さが分からない……しかし、モーツァルトは30代で夭折してますからね。
そんな若さでこれほどの曲を作り上げたというのだがら、尋常ならざる精神性を持っていたことだけは確かだ。
単純に、天才と呼ばれるだけのことはある。

まあ、こんなこと言ってても、何がどうすごいのか、ってのは分かりにくいですよね。


説明しやすい素材としては、28番ホ短調K304の方がいいかも。
この曲も2楽章しかなく、第1楽章はその悲劇的な性格ゆえ、良さが分かりやすい方かもしれない。
この曲を作曲する直前(?)に、母親が亡くなっている、という事実からも、その影響が取り沙汰される曲でもある。

しかし実は、この曲の真価は第2楽章にある……。

第1楽章は、悲劇的でドラマチックで、若い頃からとても好きな曲ではあった。
でも第2楽章は、最初のちょっと寂し気で憂いを帯びたメロディーが印象的ではあるものの、後はなんだかよく分らないごちゃごちゃした感じでイマイチ良さが分からない退屈系だとしか思っていなかった。

しかし。

自分で弾いてみて、それは180度変わった。


第2楽章はテンポ・ディ・メヌエット(メヌエットのテンポで)なんだけども、最初にピアノで提示されて次にヴァイオリンに引き継がれる、憂いを帯びた主題が確かに心に沁みる名旋律ではあるのだが、その後から何やら対位法的にごちゃごちゃした感じになってイマイチ何が何だか分かりづらい。

むしろ、混迷の極みというか、なんだか何をどうしていいかさっぱり分からない! とでもいうのか、母親を亡くして困惑するモーツァルトの心情を吐露しているのか(勝手な妄想ですけど)、音楽的に分かりづらいワケです。

でも、曲は急に長調(ホ長調)に転じる。
ここがまさにモーツァルトの神髄。

それまでの混迷をすべて払拭するかのように、雰囲気が一変する。
それはまるで、亡くなった母親が天国に召されて、永遠の平安の下に安らいでいるかのような。
天上の音楽が突然、現出する。

いわば、あの部分はフランダースの犬の最終回そのものである。
「パトラッシュ……疲れたろう。僕も疲れたんだ。なんだかとても眠いんだ……パトラッシュ……」
そして天使が降臨して、パトラッシュとネロを天国へと召し上げていく。

あのシーンそのものですよ。

もう現世のあらゆる苦しみ、悲しみ、怒り、憎しみ……そんなネガティブな感情からはすべて解き放たれ、もう苦しむ必要のない、一切の苦しみのない世界へと旅立っていく……そこには永遠の安らぎしかない。

そんな、現世を超越した天上の世界へといざなってくれる。
あの部分は、そんな世界を垣間見せてくれる。

弾くだけで、シビれますよ。

しかしそれが終わるとまた現実世界に引き戻されて、残されたモーツァルトがまた母親を亡くした寂しさにうちひしがれつつも強く生き抜く! みたいな雰囲気で曲は幕を閉じる。


すごいです。


とんでもない名曲だと思う。
でもこんなこと言ってるのなんて、ワシ一人だけかもしれない。
だって、CDを聴いてもそこまでの感銘は受けないもん。


自分で弾いたときだけ、そのような世界を感じる。


オレが頭おかしいのか。
ま、おかしかろうが何だろうが、どうでもいいけどね。

少なくともワタシは、そのように感じているワケです。


この辺が、歳をとらないと理解できない世界なのかもしれないなぁ~、などと近頃、考えていたり。


にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ ヴァイオリンへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ ヴィオラへ
にほんブログ村

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

人前で弾く緊張について(3)

人前で弾くシリーズ最終回です。


本番を終えた後も、ちょこちょこと何かしら毎日弾くようにはしてました。
そして気づいたのですが。


何だか、少し向上してるな、と。
具体的に言いますと、左手指の3と4(薬指、小指)の筋力が、前よりも強化された感じがする。
前は、薬指・小指はどうしても筋力が弱くて、押さえるのがしんどかったのだが、本番を経た後にヴァイオリンを弾くと、前よりも薬指・小指の押さえが楽になっている。
前よりも、しっかりと強い力で押さえられるようになっていることに気づいた。


これは思わぬ収穫でした。
弾いた曲は、別に難しいクラシックとかじゃなく、誰でも知ってる系の歌のメロディーラインを弾いただけで、テクニック的に難しいところは一つもなかった。

しかし、人前で弾くとなると、易しい曲といえども決して油断はできない。
本番の恐ろしさは、よ~く分かっています。

事前に、ゆっくりと、左手指はがっつりしっかりと強く押さえて練習を重ねたことが、功を奏したとも言えましょう。
でも、それだけじゃない。

人前、という極度の緊張下で弾く、というのが、いわゆる火事場の馬鹿力を発揮させて、恐らく普段は出せないような強い筋力を左手指に出させた。
それが、筋力の強化につながったのだと思われる。


あと、お客様にお出しできるレベルに仕上げなくては、という気持ちで練習に励んだのも、良かった。
この、「お客様にお出しできるレベルに仕上げる」というのが超重要です。


そういうサービス精神、おもてなしの心で練習を重ねることが、ものすごく上達に資する。
ただ自分が楽しんで弾いているだけでは、限界がありますね。


やっぱり、人前で弾く、というのは大事だな、と思った。
発表会でもいいから、時々人前で弾かないと、なかなか本当に上達はできないのだろうな、と思う。

そりゃ、まあ、人前で弾く、って言ったって、だらだらと練習して、なんとなく本番を迎えて大失敗をやらかしちゃった、なんていうのは論外で、何の意味もないばかりか有害ですらあるけども。


たとえ発表会といえども、聴衆はいるワケですから、その人たちに少しでも楽しんでもらおう、楽しんでいただこう、という気持ちで日々の修練を積み、本番を迎えれば、そういう意識をまったく持たずに臨むよりもはるかに何かしらいい結果がかえってくると思いますよ。


中には、「わたし、こんなに上手に弾けるのよ、どう、すごいでしょう? さあほめて、わたしを褒めちぎりなさい!」という意識で弾いている人がいたりしますが(実際にいる)。
そういう人の演奏は、音が美しくないし、とてつもなく退屈で聴いてて不快ですらありますよね。

なんか、自分が称賛を得るために練習して弾いている、というのが、演奏を聴くだけでまるわかりな人が少数ながら本当にいる。


そうじゃない。
まずは、自分自身が音楽を楽しまなくては。
自分自身が、これから弾く曲に感動しなくてはいけない。
そして、次にその感動を、お客様に伝えるために、練習をするのです。

自分が、この曲いいなあ、この曲好きだ! 感動する! ってのが最初にあって、それをお客様と共有したい、お客様にお伝えしたい、という意識で本番に臨むことが、演奏の基本であり、大前提なんじゃないでしょうか。


人前でいいカッコしたい、バリバリ上手に弾いてるところを見せて、自分を良く見せたい! 自分のうまさを見せつけてやるぜっ!

……みたいな、個人的かつ自己中心的な動機から出発している演奏は、正直、退屈極まりなく不愉快ですらあります。


やめてほしい。
ってゆーか、やめろよ。
マジで。



話変わりますが、先生の前で弾く段になると緊張する、っていうのがあります。
ワタシもかつて習っていた頃は、そうでした。
家では一人でノリノリで弾いていても、先生の前に出ると、とたんに委縮しちゃう、みたいな。

でもこれって、仕方ないですよね。
だって、先生相手に、サービス精神だとかおもてなしだとか、そんな気持ちになれるワケないじゃないですか。

先生は、明らかに自分より上で、うまいワケだから、自分ごときが先生に対して感動を伝えるだとか、曲の良さを共有したいだとか、そんな心境になれるハズがない。
どうしたって、自分が下、自分は音楽をお届けする立場などではとうていなく、評価を下され、ダメ出しをされる立場にいる。
そんな状況下で、うまく弾けるわけがない。

だから、先生の前で緊張してうまく弾けない、っていうのは当たり前だと思います。


でも、ワタシがかつて習っていた先生は、その辺のことを分かっていたのか、ワタシに対しても、先生を楽しませろ! みたいな指導をしていた気がする。

ま、そううまくは出来ませんでしたけどね(笑)

どうしたって、先生が上、自分が下、とうてい自分なんかがかなうハズないんだから、先生を楽しませる演奏なんか出来るワケないじゃん! っていう気持ちを払拭することが、最後まで出来なかった気がするよ。

だから、先生の下を離れ、誰にも習わなくなって、自分独自に追求するようになって初めてそこら辺の認識にたどり着いた、と、そういう気がするワケなんですね。

人間、なかなか難しいモンですなぁ……

別にいいけど。なんでも。


にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ ヴァイオリンへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ ヴィオラへ
にほんブログ村

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

プロフィール

ばっかバッハ

Author:ばっかバッハ
ヴァイオリンを習い始めたのは16歳くらい。
それから30年以上の歳月が流れ…今ではアラフィフ。
年齢とともに楽器を弾くのが辛くなってきたので、ゲームで遊ぶことも。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード