♪なぁ~ぜぇ~めぐぅりぃあ~う~の~かをぉ~

♪わぁたぁしぃたぁちはぁ~なぁにもぉ~知ぃ~らぁないぃ~~
♪いぃ~つぅ~めぐぅりぃあ~う~の~かをぉ~
♪わぁたぁしぃたぁちはぁ~いぃ~つもぉ~知ぃ~らぁないぃ~~

♪どこに~いぃ~~たぁ~ぁの~
♪生きて~きぃ~たぁ~ぁの~
♪遠い~そ~らの~下ぁ~
♪二つ~の~~も~~のぉがぁたぁりぃた~~~ての糸~は~あ~なた~……



と、いうワケで。
最近の練習状況。

毎日はなかなかできず。
2~3日に1回くらいのペースで、少しだけやっていた。
週に3日くらい。

メニューとしては、バッハの二つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調のファーストヴァイオリンパートを例のYoutube動画音源に合わせて弾くのを中心として。
これはかなり慣れてきて、事前にゆっくり練習せずに、いきなり合わせでもずいぶんと合わせられるようになってきた。

以前より、しんどくなくなってきている。
バッハは、日々の基礎練習には本当にもってこいですね。
いい具合に、全ての指をまんべんなく動かす訓練になる。

しかも、音楽的にも心に沁みる名曲、と来ている。
すごすぎる……


他には、前回ご紹介したこちら↓


から、中島みゆき『糸』、一青窈『ハナミズキ』を伴奏CDに合わせて弾いている。
すっっっっっっっっっっごく、いいですね。

テクニック的には、激烈に簡単で第1、第2、第3ポジションしか使わなく、とてつもなく弾き易い。
しかし、長い音で、ヴィヴラートをいい具合に掛けて、キレイに、美しく感動的に弾く、というテーマで日々、弾いておりますと、そういう訓練には、なりますね。

別に、頑張って努力して、そうしようとしているワケではないのですが。
ただ、いい具合にキレイに美しく感動的に弾きたいなぁ、という欲求に従って、日々それを追求しているだけで。

でも、そうやって「やりたくて」やっていると、だんだんそういう風にできてきますね。
頑張って努力してやろうやろうとしていると、いつまで経ってもできるようになりません。
そして挫折して、やる気なくなります。

楽しいから、やりたいから、自分が感動するから、だからやりたい。
弾けたい!

そういうのに突き動かされて、日々やっていると、自ずとできてくる。
ゲームが面白いから毎日やる、っていうのと、まったく変わりがありません。
自分の中では。

以前は、長い音でキレイに歌う曲(第2楽章とかに多い)がすっごい苦手で、とにかくヴィヴラートがなかなかできなくて、下手クソで歌えなかったものでした。

でも、今ごろになって、頑張らない、楽しむ、という境地に達して初めて、歌う曲も弾けるようになってきた。


力で頑張っているうちは、ダメですね。
楽しめる境地に達しないと、到達できない。


今さらながら、あぁ、前に習ってた先生が言いたかったのは、こういう境地だったのかもしれないなぁ、などと思ったりした。



にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ ヴァイオリンへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ ヴィオラへ
にほんブログ村
スポンサーサイト

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

♪まぁばぁ~たき~ひ~と~つの~

♪あい~だの~い~ぃっしょお~
♪ぼく~たち~は~み~んな~い~ぃっしゅ~んのぉ~ほぉしぃ~
♪まば~たき~も~せ~ずに~息~をす~るこ~とさ~え~
♪惜~し~む~か~の~よ~ぉにぃ~~も~とめ~あぁう~~

♪あぁ~ひ~と~は~け~ものぉ~……



え~、というワケで。
前回、ブラック従業員に殺される、というようなことを述べた。

その後、どうなったか。
(そんなことどうでもいい話かもしれない)


退職勧告にも応じず、とうとう専門家に解雇の手順について相談し始めた矢先のことだった。
ブラック従業員の方から、今年度いっぱいで退職します、との申し出があった。

裏でどんな力関係が働いたのか、詳細は不明だが。
まあ、さすがに居座り続けることは難しかったのだろうか。

もう自分から、辞める、って広報してしまってるし……

ようやく、諸悪の根源、悪魔が去ることとなり、とりあえずは一安心ではあるのだが。
とはいえ、年度いっぱいまではまだいるので、その間に最後っ屁をかましていかないか、警戒を怠るわけにもいかない。

まだまだ気を抜けない日々が続いてはいる。
恐らくブラック従業員と陰で何らかのつながりがあるのであろうと疑われるような嫌がらせもあり、警察に相談に行ったり、多忙で精神的に余裕のない日常であった。


それでも、1日か2日おきくらいの頻度で、ヴァイオリンを弾くことだけはしていた。
もっぱら、バッハの二つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調を、Jenny Yun ちゃんのYouTube動画から落とした音源に合わせて弾く、というのが中心。

しかし、これが続けていると、かなり侮れない効果をもたらすこと判明。
あのテンポに必死に合わせることを何度も何度も積み重ねているうちに、いつの間にか、頑張らなくてもあのテンポについていけるようになっていた。
最初の頃は、もう必死にテンポについていくだけで精一杯で、全然弾けないし、絶対に無理! としか思えなかったものだが。

それが、毎日ではないにせよ、ちょこちょこと日々、続けていたら、なんかゆとりを持ってあのテンポで普通に弾けるようになっていた。
すごい……

全般的に、「弾く力」もアップしたようで、特に4の指(小指)の機動力がかなり向上して。
別な曲を弾くときも、以前よりも弾き易くなっている。

今日あたりは、コレ↓


の中から、中島みゆきの『糸』、一青窈『ハナミズキ』あたりをCD伴奏に合わせて弾いてみた。
事前練習なしで、いきなりCD伴奏合わせ。

でも、以前よりもかなりゆとりを持って弾ける。
『糸」』は前に譜読みしたことあったので指使いとかは知ってはいたんだけども、かなり久しぶりだとたいていは弾けないものだったが、今日は違った。
ほぼ初見状態でも、あまり間違えることもなく、最後まで弾きとおすことが可能に。
左手指の動きがかなり自由になった。
バッハ二つのヴァイオリン及びJenny Yun ちゃん効果である。

あ、ちなみに上記の楽譜は、本来はヴァイオリンデュオで、二人で弾くこと前提の楽譜なんですけども。
二人いないので、一人でメロディーラインだけを弾きます。
楽譜上では、メロディーラインがヴァイオリン1と2に分けてあったりするのですが、そこは、一人でメロディーラインの方だけを拾ってつなげて弾いていく。
対旋律の方を省略していくワケですね。

『ハナミズキ』の方は、今日が初めての譜読みで、曲は知ってるけど、文字通り本当の初見。
初見でCD伴奏に合わせていく。
でも、おおむね弾けてしまう。

まあ、かつてはオーケストラとか室内楽のヴィオラパートを担当していた(させられていた)から、譜読み力、初見力はそれなりにある方なんですけども。
譜読みできても、指がついていかない、という難がこれまではめっちゃあった。
しかし、バッハの二つのヴァイオリンのあのテンポで弾きまくったせいで、指がかなり自由に行ってくれるようになった。

だから、『ハナミズキ』くらいだったら、初見でも全然、弾ける。
最初は、メロディーラインがヴァイオリン1にあるのか、ヴァイオリン2の方にあるのか、判別できない箇所があったものの、2回目にはその辺も完全に把握されて、最初から最後までメロディーラインをつなげて、CD伴奏に合わせて、とても気分よく、感動しながら弾くことができて、凄まじく楽しかった。
やっぱり、自分でヴァイオリン弾くことに勝る娯楽は、この世に存在しないと思う。

また、手に入れた楽器がとてつもなく優秀で。
弦がいい加減寿命来てるんだけど、それでもいい音出まくり。
マジで沁みる。
心に沁みる。

正直、「練習している」という意識は皆無。
ただ、「ヴァイオリン弾いて遊んでる」という感覚しかない。
弾いて、感動して楽しんでる。

でも、その方が上達する。
「本気で遊ぶ」ことが重要。

だって、音程が正確な方が楽しめるし。
音程が正確じゃないと、感動できない。

ボーイングだってちゃんとしてなければ、弾いて楽しめない。
そのために必要な、肉体的訓練のつらさ、キツさ、痛さなんて、平気で乗り越えるくらいじゃないと。

なんか、「遊び」って言うと、ツラくなくて楽で、自堕落で怠惰なものだけを指すみたいな、バカげた間違いが日本中に浸透しているような感じがするけども。
それは著しく間違っている。

本当に楽しいこと、面白いことは、ツラくて苦しい訓練を越えた先にあるものである。

「ツラくて苦しい訓練」と「楽しいこと」とは、本来、別なものではない。
それらは、密接に関連していて、同じものの裏と表である。

でも、そこを完全に分けて考えてしまっている人が、日本にはけっこうたくさんいる。

なんか、「勉強」って言うと面白くなくてつまらなくて苦しいだけのただの苦行で、「遊び」はカラオケに行ったりラウンドワンに行ったり、ゲームセンターに行ったり家でゲームしたり、楽なだけで怠惰の極み、みたいな。

頭悪すぎますね。

完全に、間違っている。


本来、勉強は面白いからするもの。
知りたいから知識を得るのであって。
知ることは、面白いことなハズなのに。

それを苦行としか受け取ることができないのは、頭悪過ぎです。

仕事も同じ。
生活のために仕方なく、やりたくもない仕事を我慢してやっているだけなのか。
そんな生き方で、本当にいいのか?

やっぱり仕事に大切なのは、やり甲斐だと思うわけです。
仕事にも、面白さがなければ、長続きできない。
ただ金のために、我慢をし続ける、というのは、人間には不可能です。
我慢なんて、所詮、長続きしない。

なんか、テレビ等で、我慢することが偉いこと、みたいなクソな価値観を垂れ流してるけども。
たとえば変な、ダイエット挑戦系の企画。

ツラくて苦しいことを我慢して、何かを達成することが、偉くて尊くて価値がある、みたいな。

たまにテレビで目にすると、反吐が出る。
バカだなこいつら、と思う。

大嘘ですよ、あんなのは。

人間、我慢してやれることなんて、たかが知れている。
しょせん、我慢なんて長続きできやしない。
絶対に、後で揺り戻しが来る。
だから、無理なダイエットしてもすぐにリバウンドするんです。


努力なんてものに、価値はない。
なんで、日本人は、「努力」というものに異常に価値を置いているんでしょうね?
バカとしか言いようがない。

努力なんて、してはダメです。
どうせ長続きしないし、大した成果を残せないから。

楽しんでやらないといけない。
それは、受験勉強であっても、資格取得のための勉強であっても、同じです。
それ自体を、楽しめるようじゃないと、人間、力を発揮できやしない。

我慢して、苦行に耐えて、何かの成果を得たとしても、その後で必ず、燃え尽きるときがきてしまう。
長続きできるわけがないんです。


ゴルフの石川遼選手だって、最近はあまり話題にのぼることがなくなってしまったけども、彼はべつにゴルフの練習を、苦しくて辛くてイヤだけど我慢してやっていたワケでもなんでもなかった。
彼にとっては、人生で一番やりたいことがゴルフの練習だった、というそれだけの話なんですね。
やりたくてやっているだけ。
楽しいから、面白いから、やっているだけなんだ。

そういう人が、本当に成果を出せる。
イヤなこと、ツラいこと、苦しいことを我慢してやった人が、何かの成果を残したことなんて、ひとつもないんじゃないですか。
あったとしても、大した成果じゃない。
低レベルなことなら、苦行でも行けるだろうけど。
本当の一流には、なり得ない。


だから、我慢してやることには、意味がない。
やめた方が、いいです。
やりたくないことなら、やらない方がいい。

でも、勉強はキライだし、何もやりたくない、ただ怠惰に、欲望のままにだけ生きたい、それしか望みはない、という人は、どうしたらいいんでしょうか。

欲望のままに生きてみればいいと思う。
人間、欲望のままにやり切って、満足したら飽きて、もっと面白いことを自然と求めます。
じゃあ、反社会的な、人を殺したいとか、そんな欲望だったらどうするのか?

ま、それで実際に人を殺しちゃってる人がいますよね……
そうなったら、それ相応の社会的ペナルティを受けるしかない。
そして、奪った命、残された遺族、その罪を全身でかぶるしかない。

その覚悟があるなら、やりたいようにやればいい。
なに? 俺を殺しに来るって?
おぅ、上等じゃ。
返り討ちにしてくれるわ。


法律だとか、モラルだとか。
俺は、もともとそういうモノはあまり信じていない。

近頃はネット上で、過剰なコンプライアンスとかモラルとか、そういうのを守るのが至上の絶対善で、守らないヤツ、法やモラルを犯すヤツを全力で叩きまくるという風潮があるけども。
バカか?
と思う。

お前らは、そんなに聖人君子なのか、と。
生きてきて、一度も法を犯したこともなく、モラルに反した行動もしたことがないのか、と。

まあ、もしそうなら、逆にかなり危ない人だな、と思うけどね……
ひとつの法律違反も、不道徳なことも、したことがない人、なんて、そんなヤツ、気色悪くて信用できない、危ない人なだけだ。
でも、ネット上ではなぜか、そういう聖人君子様であることが絶対必要条件みたいに、なっているじゃないですか。

危険な兆候だと思うよ。


お酒は二十歳になってから、とか建前上は言うけども、そんなのは建前だけであって、誰だって未成年から酒なんか飲んでたでしょ。
それが、何があろうと絶対に二十歳にならなければ飲酒してはいけないんだ! それが絶対の正義だ! みたいな。
頭、おかしいです。
どう考えても、狂ってる。

自動車道で、制限速度が40キロです。
じゃあ、絶対に40キロで走行しなければいけないのか。
現実は、そんな制限速度をきっちり守って走ってる車なんて、いない。
むしろいたら、遅すぎて交通妨害レベル。
パトカーだって、守ってない。
守ってんのは、救急車だけ。
バカじゃねぇの?
人の生き死にが掛かってるときに、制限速度厳守で走る救急車。
見るたびに、日本って、狂ってるな、と思う。

守るところを、明らかに間違えている。


法が、そもそも何のために決められたのか? というそもそもの原則論が、すっぽり抜け落ちて、いつの間にか、法を守ることそのものだけが絶対の正義と思い込み、ひたすら法を守り続けることに固執する。
偏執狂的に。

頭おかしくて、頭悪いヤツが多すぎる。

特に警察や市役所の、窓口レベルの木っ端役人には多い。
県警や県庁レベルになると、意外と柔軟に対応してくれるのにね。

下のヤツらほど、法律の何たるかをそもそも知らないクセに、一般人相手に偉そうに上から目線で、杓子定規に法律の規定を現実に無理やり当てはめようとするから。

違うんだぞ、と。
法律の基礎から学び直せよ、と。
でも、頭悪いから、法学に関する基礎的な書籍を読んでも理解できないんだろうな。
だったらそんなクズが、窓口に座って偉そうにしてんなよ!
民間事業者を混乱させてんじゃねぇ!!

バカが。

迷惑なんだよ。



にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ ヴァイオリンへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ ヴィオラへ
にほんブログ村

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

楽しく合わせられるようになった。

ここのところ、どうも疲れちゃって。
暑さでバテてる、というのもあり。

最近、雨が多くてそこまで暑くはない、とは言っても、やはり暑かったときのバテが体に残っていて、いつもダルいし眠い。


なので、練習は休み気味に、一日おきくらいにしていた。
しかも、ヴィオラは休んでヴァイオリンだけ。


曲も簡易に、無伴奏はお休みにしていて、もっぱらバッハの二つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調から第1楽章。


これを、毎度おなじみ、Jenny Yun ちゃんの動画(からCDに落とした音源)に合わせて弾くのだけど。

これが、なんと、日々、弾けてきた。
前は、あのスピードについていくだけでとてもじゃないが精一杯というか、いっぱいいっぱいというか、必死すぎて、それでも合わせられてなくて、合わせるだけでヘトヘトに衰弱していた。


それが、かなり余裕で合わせられるようになってきた。
驚いたことに。

2ndのソロパートとピアノ伴奏(本当はオケだけど)の動きを、よ~く聴きながら、それにぴったり合わせて弾くことができるようになってきた。
まだところどころ雑いけど、すべて完璧にキレイに合わせて弾けたら、もっとたのしくなるね。


やはり、1日おきに練習、というのがいいのかもしれない。
1日おくと、疲れが取れて、左手指に疲労が残っていない状態で練習ができる。

左手指の筋肉が、あまり痛くないんですね。

そして、あのスピード感にも、かなり慣れてきた。
バッハのあの曲特有の、二つのヴァイオリンがメカニカルに絡み合うあの独特の感じ。
あれを、初めて楽しみながら弾くことができた。

すげぇ……


もうずーっと前に、あれはもう、30年以上前なのか……?
発表会で、2ndパートで弾いたことがあったハズなんだが。

あの時は、相手のパートを聴いて合わせる余裕なんてなかったし、1stとの絡み具合を弾きながら楽しむ、なんていうことは一切、できなかった。


でも今は、それができる……
しかも、合わせて弾いても、それほど疲れない。
余裕で合わせられている。

多少、指が追いつかなかったり、弓が跳ねちゃったり、そういうアラはあるものの、おおむねゆとりを持って、最初から最後まで通して合わせられるようにはなった。

すごいな……


一時は、いくら頑張っても、余裕で合わせられる日なんて来ないんじゃないか、いつまで経っても左手指が痛くて、まともに弾けないままなんじゃないか……という弱気な気持ちがきざしてきたときもあったのだが。
でも、そういうネガティブな言葉は、こういう場所で書かないようにしているんですよ。

だって、書いちゃうと、自己暗示にかかって、「やっぱり自分はできないんだ」という思い込みが無意識下に入り込む。
そして、その通りの現実を作り出す。
「ほうらね、やっぱりできなかったでしょ」と、まるで予言が成就したかのように思う。

これは、間違い。
ただの、悪い思い込みにすぎません。

だから、できないとか、ダメだとか、そういうネガティブな言葉は、できるだけ書き込まないように気を付ける。
だからといって、無理にできるとか、やれるとか、頑張るとか、そういうのも、あまり書かない。

無理はしない。
日々、地道に修練を重ねるだけです。
無心に。

そうすると、不思議と成果が表れてくる。


それはそうと、上で述べた「思い込み」というヤツ。
これは、エセ占い師がよく使う手口です。

エセ占い師が、「あなたは○○で、○○のようになるでしょう」とか何とか、もっともらしいことを言う。
言われた方は、「あ、そうなのか、○○なのか!」と思い込む。

そうすると、無意識に、その思い込み通りの現実を作り出してしまう。
そして「あっ、占い師さんの言った通りになった! やっぱりあの人の占いは当たる! すごい!!」ってなってしまう。

いや、それ違うから。
ただ単に、占い師に操られているだけですから。


熱心な信者は、そうやってますます、占い師を信じ込むようになり、ますます、占い師の言う通りの現実を作り出しては、当たった、当たった、と喜んでいる。


おかしいですから。


人の未来を、そんな正確に確実に予言できる人なんて、この世に存在しません。
昔から、占い師の手口は、上記のような無意識下に思い込ませてその通りの現実を作り出させていく、というそれだけのこと。


実際に、身近にそういう出来事があるから、危機感を覚える。
ヒドいのになると、占い師が「あなたは自殺しますね」と客に言ったそうだ。
そしたら、その客はホントに自殺したんだそうです。
その出来事から、「占い師の言った通りになった、すごい、すごい」とか言ってる人がいたんですよ。

いや、これ、明らかに違うでしょ。
自殺したいなぁ、と悩んでる人に向かって、「あなたは自殺します」なんて言ったら、言われた方は「ああ、そうか、やっぱり自分は自殺するのか」と思い込んじゃって、そりゃあ、本当に自殺してしまいますよ。
これは、占い師がその人を殺したようなモノなんですね。
占いでもなんでもない。
人にそのように思い込ませて、自殺にまで誘導してしまう。
もはや犯罪の域です。
こういうことが、もう30年か40年くらい前だけど、実際にあった。

まあ、自殺とかそういう激越なところまではいかなくても、似たような事例は現在でも日本のあちこちでいまだに行われている……

おっと話しが逸れた。

まぁ、別にもともと大した話はしていないから、逸れようがどうしようが、割とどうでもいいのですが。


にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ ヴァイオリンへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ ヴィオラへ
にほんブログ村

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

一度出来たことは、二度出来る(らしい)

今夜は、これまででも特に暑い気がする。
とてもじゃないが、バテてしまって練習どころじゃない。

なので、簡略版で。


バッハの二つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調BWV1043から、第1楽章のみ。
ソロの1stヴァイオリンパートを、まずはゆっくりと遅めに、がっつりと強めに押さえて、指使いを左手指に覚え込ませる。


それから、おもむろにJenny Yun ちゃんの動画から落とした音源に合わせて弾いてみる。



こないだ、初めてバッチリ合わせることができたのだけど、今日も合わせることができた。
前は、どうもごちゃごちゃ何やってるか分からなくなって、どうしても合わない箇所があって、ソロが出てくるところでどうにか辻褄合わせて弾いていたのだったが。
ようやく、ちゃんと合わせて弾くことができてきた。

これは、アレだ。
自転車って、一回乗れたら一生乗れる。
泳ぐのも、一回泳げたら一生泳げる。

それらと似ていて、一回合わせられたら、もう後は、本能で合わせられるみたいで。

人間の持つ潜在能力って、すごいな、と思う。
自分では、こないだ合わせられたとはいえ、今日も出来るかは分かんねぇよな~、なんて最初は思いながら弾き始めてるワケです。

でも、弾き始めてみると、思ってたよりすんなりと合わせることができる。
あぁ~、一回出来たら、また出来るモノなんだ、と感心した。


人間、自分が出来るかできないか、意識レベルではそれすら把握できてないんですね。
出来ることでも、出来ないんじゃないか、と勝手に不安に駆られている。

でも、本当は出来る。


無意識レベルでは、しっかりと経験が積み重なって、残っている。


不思議なものですね。


人間って、自分が何を覚えているか、それすら自覚できてないことがありますよね。
急に、昨日とかの記憶が鮮明によみがえってきて、あれ、自分、こんなこと覚えてたの!?
って驚くことが、こないだあった。


自分のことなのに、全然、把握できてない。


だから、自分は出来ない、ダメだ、と決めつけてしまうのは、良くない。
というか、間違ってる。


出来るか出来ないか、なんて、自分の意識レベルでは完全に把握なんてそもそも出来てない。
本当は出来ることでも、出来ないと思い込んでいることがある。


日々の練習は、自分の無意識下に、弾く手順というか、指使いというか、そういうものを浸透させて覚え込ませる過程だ。
その結果がどうなるかは、意識レベルでは、まだ分からない。

しばらく後になって、その成果が結実してくる。


だから、結果を焦らず、だからといって変に期待もせず、ただ毎日、地道に練習を重ねるしか、ない。


毎日毎日、ただ無心に、ひたすら練習を繰り返していると、いつの間にか、知らないうちに、自分の無意識下に練習の成果が蓄積されて、ある日、それが開花する。


そういうモノです。



バッハの二つのヴァイオリンのための協奏曲の第1楽章は、この感じで、Jenny Yun ちゃんのテンポに完璧に合わせられるように、修練を重ねていくことにしよう……


あのテンポにも、かなり慣れてきた。
もう少し、左手指が敏捷に動ければいいのだが。

つーことで、今日は暑いので練習は終了。
ヴィオラはお休み。

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ ヴァイオリンへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ ヴィオラへ
にほんブログ村

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

クソムズい曲を無理やりさらうと向上する。

ここのところ、どうも疲れちゃって。
あまり練習できず。


なので、無伴奏系は少しお休み。


ヴァイオリンで、バッハの二つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調第1楽章を弾いたり、コレルリのラ・フォリアを弾いたり。


バッハの二つのヴァイオリンの方は、ず~っと前に、Jenny Yun ちゃんという韓国のヴァイオリン・アイドル(なんじゃ、そりゃ(笑))が、1stVnパートを抜いたヴァージョンをYouTubeにあげていたので、それを録音してCDに落としたものに合わせて弾いてみたんですね。

そしたら、以前よりも合わせられるようになっている。
前はテンポが速すぎてとてもついていけなかったのが、今はどうにかついていけなくもない。
それに、前は何度やっても合わなくて苦労した箇所が、今回は初めて、バッチリ合わせることができた。


どうやら、バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番のような、クソムズい曲を無理やりに弾き続けたおかげで、テクニック的に少しは向上したらしいのである。


あと、コレルリのラ・フォリア。
これも、前はけっこうCDに合わせて弾くとなるとかなり苦労していた。
しかし、今日になって合わせてみると、前よりも心にゆとりを持って合わせることができるようになっていた。
チェンバロパートをよく聴くことができる、というか。

前は、余裕がなくてかなり必死こいて合わせていたものだったが。
今日あたりは、かなり落ち着いて合わせられる……

前はテクニック的に難しくて余裕がなかった部分でも、今は前よりは楽に弾き進めることができる。
とはいえ、まだまだ完璧に弾けるとまではいかないが。


どうやら、バッハの無伴奏みたいな、とても弾けそうもない、激ムズな曲を、その難しさなどものともせず、無理やりに毎日毎日、弾き続けていると、それなりにテクニック的に向上するらしい。

少し、弾く力がアップしているのを感じた。

「弾く力」っていうのは、一つの曲を、最初から最後まで、間違えず、止まらず、弾き直さず、曲として音楽的に歌って、完成形として弾き切る、そういう力のことを指しています。


練習弾きをいくらしても、それは「弾く力」にはならない。
本番弾きが、どれだけできるか?
それが「弾く力」。

これが、衰えが激しくて。
やっぱり、人前で弾く機会が少なくなると、おのずと衰えるものですかね。


体力的にも衰えてるしな~。

あ~、もう。
なんか、眠くなってきてダメだわ。



にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ ヴァイオリンへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ ヴィオラへ
にほんブログ村

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

プロフィール

ばっかバッハ

Author:ばっかバッハ
ヴァイオリンを習い始めたのは16歳くらい。
それから30年以上の歳月が流れ…今ではアラフィフ。
年齢とともに楽器を弾くのが辛くなってきたので、ゲームで遊ぶことも。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード