モーツァルトのすごさ。

最近、モーツァルトにハマり気味。

ヴァイオリンソナタ(ヴァイオリンとピアノのソナタ)第25番ト長調K301を今日はちょっと真面目に練習して、CDに合わせて弾いてみたり。
これ、意外にすごくいいですね。


もう何年も前のことになるが、Yahoo!知恵袋あたりで、モーツァルトの良さは歳をとらないと分からない、だとか、モーツァルトなんてクソつまんねぇだとか、言われていたりしたものだった。


歳をとらないと良さが分からない。


確かにその通りだった。


最近になって、ようやくモーツァルトの本当の良さが分かってきたような気がする。
若い頃は、全然わかっていなかった。

いや、アイネ・クライネ・ナハトムジークだとか、超有名極まりない曲は別ですけどね。
ヴァイオリンソナタみたいな地味な曲になると、その良さを理解できるかできないか、ってのは、モーツァルトの真価を本当に分かるか否かの試金石となる。


今弾いているト長調K301は、むか~しむかし、習っていた先生が良く弾いていた曲でもあった。
正直に率直に言いますと、当時はその良さがまったく理解できなかった。
なんて退屈でクソつまらねぇ曲なんだ、と思ってた。

でも最近になって自分で弾いてみて、こ、これは……めちゃくちゃいい!
とんでもなくいい曲だッ!!
と思えてきた。


これはただ単に、ワタシが歳を重ねたせいなんだと思われる。
歳をとらないと、その良さが分からない……しかし、モーツァルトは30代で夭折してますからね。
そんな若さでこれほどの曲を作り上げたというのだがら、尋常ならざる精神性を持っていたことだけは確かだ。
単純に、天才と呼ばれるだけのことはある。

まあ、こんなこと言ってても、何がどうすごいのか、ってのは分かりにくいですよね。


説明しやすい素材としては、28番ホ短調K304の方がいいかも。
この曲も2楽章しかなく、第1楽章はその悲劇的な性格ゆえ、良さが分かりやすい方かもしれない。
この曲を作曲する直前(?)に、母親が亡くなっている、という事実からも、その影響が取り沙汰される曲でもある。

しかし実は、この曲の真価は第2楽章にある……。

第1楽章は、悲劇的でドラマチックで、若い頃からとても好きな曲ではあった。
でも第2楽章は、最初のちょっと寂し気で憂いを帯びたメロディーが印象的ではあるものの、後はなんだかよく分らないごちゃごちゃした感じでイマイチ良さが分からない退屈系だとしか思っていなかった。

しかし。

自分で弾いてみて、それは180度変わった。


第2楽章はテンポ・ディ・メヌエット(メヌエットのテンポで)なんだけども、最初にピアノで提示されて次にヴァイオリンに引き継がれる、憂いを帯びた主題が確かに心に沁みる名旋律ではあるのだが、その後から何やら対位法的にごちゃごちゃした感じになってイマイチ何が何だか分かりづらい。

むしろ、混迷の極みというか、なんだか何をどうしていいかさっぱり分からない! とでもいうのか、母親を亡くして困惑するモーツァルトの心情を吐露しているのか(勝手な妄想ですけど)、音楽的に分かりづらいワケです。

でも、曲は急に長調(ホ長調)に転じる。
ここがまさにモーツァルトの神髄。

それまでの混迷をすべて払拭するかのように、雰囲気が一変する。
それはまるで、亡くなった母親が天国に召されて、永遠の平安の下に安らいでいるかのような。
天上の音楽が突然、現出する。

いわば、あの部分はフランダースの犬の最終回そのものである。
「パトラッシュ……疲れたろう。僕も疲れたんだ。なんだかとても眠いんだ……パトラッシュ……」
そして天使が降臨して、パトラッシュとネロを天国へと召し上げていく。

あのシーンそのものですよ。

もう現世のあらゆる苦しみ、悲しみ、怒り、憎しみ……そんなネガティブな感情からはすべて解き放たれ、もう苦しむ必要のない、一切の苦しみのない世界へと旅立っていく……そこには永遠の安らぎしかない。

そんな、現世を超越した天上の世界へといざなってくれる。
あの部分は、そんな世界を垣間見せてくれる。

弾くだけで、シビれますよ。

しかしそれが終わるとまた現実世界に引き戻されて、残されたモーツァルトがまた母親を亡くした寂しさにうちひしがれつつも強く生き抜く! みたいな雰囲気で曲は幕を閉じる。


すごいです。


とんでもない名曲だと思う。
でもこんなこと言ってるのなんて、ワシ一人だけかもしれない。
だって、CDを聴いてもそこまでの感銘は受けないもん。


自分で弾いたときだけ、そのような世界を感じる。


オレが頭おかしいのか。
ま、おかしかろうが何だろうが、どうでもいいけどね。

少なくともワタシは、そのように感じているワケです。


この辺が、歳をとらないと理解できない世界なのかもしれないなぁ~、などと近頃、考えていたり。


にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ ヴァイオリンへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ ヴィオラへ
にほんブログ村
スポンサーサイト

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

人前で弾く緊張について(3)

人前で弾くシリーズ最終回です。


本番を終えた後も、ちょこちょこと何かしら毎日弾くようにはしてました。
そして気づいたのですが。


何だか、少し向上してるな、と。
具体的に言いますと、左手指の3と4(薬指、小指)の筋力が、前よりも強化された感じがする。
前は、薬指・小指はどうしても筋力が弱くて、押さえるのがしんどかったのだが、本番を経た後にヴァイオリンを弾くと、前よりも薬指・小指の押さえが楽になっている。
前よりも、しっかりと強い力で押さえられるようになっていることに気づいた。


これは思わぬ収穫でした。
弾いた曲は、別に難しいクラシックとかじゃなく、誰でも知ってる系の歌のメロディーラインを弾いただけで、テクニック的に難しいところは一つもなかった。

しかし、人前で弾くとなると、易しい曲といえども決して油断はできない。
本番の恐ろしさは、よ~く分かっています。

事前に、ゆっくりと、左手指はがっつりしっかりと強く押さえて練習を重ねたことが、功を奏したとも言えましょう。
でも、それだけじゃない。

人前、という極度の緊張下で弾く、というのが、いわゆる火事場の馬鹿力を発揮させて、恐らく普段は出せないような強い筋力を左手指に出させた。
それが、筋力の強化につながったのだと思われる。


あと、お客様にお出しできるレベルに仕上げなくては、という気持ちで練習に励んだのも、良かった。
この、「お客様にお出しできるレベルに仕上げる」というのが超重要です。


そういうサービス精神、おもてなしの心で練習を重ねることが、ものすごく上達に資する。
ただ自分が楽しんで弾いているだけでは、限界がありますね。


やっぱり、人前で弾く、というのは大事だな、と思った。
発表会でもいいから、時々人前で弾かないと、なかなか本当に上達はできないのだろうな、と思う。

そりゃ、まあ、人前で弾く、って言ったって、だらだらと練習して、なんとなく本番を迎えて大失敗をやらかしちゃった、なんていうのは論外で、何の意味もないばかりか有害ですらあるけども。


たとえ発表会といえども、聴衆はいるワケですから、その人たちに少しでも楽しんでもらおう、楽しんでいただこう、という気持ちで日々の修練を積み、本番を迎えれば、そういう意識をまったく持たずに臨むよりもはるかに何かしらいい結果がかえってくると思いますよ。


中には、「わたし、こんなに上手に弾けるのよ、どう、すごいでしょう? さあほめて、わたしを褒めちぎりなさい!」という意識で弾いている人がいたりしますが(実際にいる)。
そういう人の演奏は、音が美しくないし、とてつもなく退屈で聴いてて不快ですらありますよね。

なんか、自分が称賛を得るために練習して弾いている、というのが、演奏を聴くだけでまるわかりな人が少数ながら本当にいる。


そうじゃない。
まずは、自分自身が音楽を楽しまなくては。
自分自身が、これから弾く曲に感動しなくてはいけない。
そして、次にその感動を、お客様に伝えるために、練習をするのです。

自分が、この曲いいなあ、この曲好きだ! 感動する! ってのが最初にあって、それをお客様と共有したい、お客様にお伝えしたい、という意識で本番に臨むことが、演奏の基本であり、大前提なんじゃないでしょうか。


人前でいいカッコしたい、バリバリ上手に弾いてるところを見せて、自分を良く見せたい! 自分のうまさを見せつけてやるぜっ!

……みたいな、個人的かつ自己中心的な動機から出発している演奏は、正直、退屈極まりなく不愉快ですらあります。


やめてほしい。
ってゆーか、やめろよ。
マジで。



話変わりますが、先生の前で弾く段になると緊張する、っていうのがあります。
ワタシもかつて習っていた頃は、そうでした。
家では一人でノリノリで弾いていても、先生の前に出ると、とたんに委縮しちゃう、みたいな。

でもこれって、仕方ないですよね。
だって、先生相手に、サービス精神だとかおもてなしだとか、そんな気持ちになれるワケないじゃないですか。

先生は、明らかに自分より上で、うまいワケだから、自分ごときが先生に対して感動を伝えるだとか、曲の良さを共有したいだとか、そんな心境になれるハズがない。
どうしたって、自分が下、自分は音楽をお届けする立場などではとうていなく、評価を下され、ダメ出しをされる立場にいる。
そんな状況下で、うまく弾けるわけがない。

だから、先生の前で緊張してうまく弾けない、っていうのは当たり前だと思います。


でも、ワタシがかつて習っていた先生は、その辺のことを分かっていたのか、ワタシに対しても、先生を楽しませろ! みたいな指導をしていた気がする。

ま、そううまくは出来ませんでしたけどね(笑)

どうしたって、先生が上、自分が下、とうてい自分なんかがかなうハズないんだから、先生を楽しませる演奏なんか出来るワケないじゃん! っていう気持ちを払拭することが、最後まで出来なかった気がするよ。

だから、先生の下を離れ、誰にも習わなくなって、自分独自に追求するようになって初めてそこら辺の認識にたどり着いた、と、そういう気がするワケなんですね。

人間、なかなか難しいモンですなぁ……

別にいいけど。なんでも。


にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ ヴァイオリンへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ ヴィオラへ
にほんブログ村

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

人前で弾く緊張について(2)

前回からの続き。

プロの演奏家って、You tube とかで見ても、全然緊張なんかしてないように見えますよね。
余裕でリラックスして弾いているかのようにさえ見える。


でも、これももう30年かそれ以上前の話になっちゃうけど、確かN響の首席フルート奏者(当時)だったか誰だったかだと思ったが、もうそんな一流の演奏家ですから、何度も本番の舞台を踏んでるわけです。
しかし、そんな人ですら、本番はやっぱり何度やっても緊張します、みたいなことを話していた。


プロでも、本当は緊張しているんですね。


で、極度の緊張下でも力を発揮できるためには、圧倒的なサービス精神で臨むといいんじゃなかろうか、というのが前回までの話。


んで、緊張下で失敗の原因となるような、自分がいいカッコしたい、いいトコ見せたい、自分が称賛を受けたい! みたいな、個人的で自分中心な動機が沸き起こってくるような場合は、どうするのか?


こういう、自分本位な気持ちから出発して舞台に立つと、たいてい何か失敗をやらかします。
やらかさなくても、あまりうまくいかなかったりする。


でも、そういう気持ち自体が、悪いというワケではないのです。
そもそもなぜ、そういう、「自分がいいカッコしたい」「人にいいトコ見せたい」「称賛を受けたい!」というような欲求があるのでしょうか。


突き詰めてその源泉を探っていくと、最終的には「心の寂しさ」に行きつきます。
小さいとき、親から十分に愛情を受けられなかった。
それが、心の寂しさ、心の飢え渇きとなって、深層心理の奥深くに沈潜する。

人から愛されたい、誰かに愛してほしい、そういう渇望が、無意識下に常にある状態となる。

そうなると、その意識下の渇望が、無意識に私たちの行動原理となってしまう。
いつしか、人の目を引きたい、人にいいトコを見せて、自分を見てほしい、称賛してほしい、そしてできれば愛してほしい……そういう風に、心の奥底の渇望が、私たちの心のありよう、あるいは行動そのものの源泉となってしまっているんですね。


でも、私を愛してほしい! といくら願って頑張って他人にアピールしてみたところで、その他人だって、同じように自分を愛してほしい人たちばかりなワケですから、誰も振り向いてくれやしないのです。


だから、そのような行動原理から出発して楽器の演奏に臨んでも、決してうまくいなかい。


では、どうすればいいのか?

一つの答えとしては、自分自身の心の奥深くを見つめ、自分の中から沸き起こってくる欲求や衝動の根幹に、実は「心の寂しさ」「愛情への渇望」がある、ということを自覚して、そこに気が付くことです。

あ、そうか、そうだったのか……自分は本当は、それ(愛情)が欲しかっただけなのか……と、そこに気づく。
気づいたからといって、そうした欲求がすぐに消えてなくなるワケではないのですが、気づくことにより、それに支配されることがなくなるのです。

それ(心の渇望)が行動原理ではなくなることができる。
それ(心の寂しさ)に支配されずに、それとは違った行動原理で動くことができるようになってきます。


自分が称賛を受けたい! とかいう欲求から自由になって、圧倒的なサービス精神を動機として演奏に臨むこともできるようになってくる。



ちょっと話しが逸れますが、「心の寂しさ」は、あらゆる依存症とか中毒の原因にもなります。
愛情に飢えた心を、別な何かで満たそうとして、何かに依存したり、中毒になってしまうのです。

ギャンブル依存症、アルコール依存症、薬物中毒、ゲーム中毒……etc


みんな、突き詰めれば究極的にすべて「心の寂しさ」を埋めるための代替措置として、行われている。
でも、代替措置では決して埋めることなどできないから、いつまでも依存し続けることになってしまう。


これらは、道徳的に悪いとか何だとか、当人を責めてみたところで、絶対にやめることなんてできるハズがない。
根本の原因に気づいていないからです。

これは、当人自身が、それらの依存症の根底に、愛情に飢えた寂しい心があるんだ、ということに気づいて、そこから自由になる以外に治療法などないんです。

医学的にどうだこうだ、なんていう御託は、まったく無意味で大嘘ですよ。



あと、人から愛されたいのであれば(誰でもそうでしょうけど)、まず自分から人に愛情をかけなければいけません。
まずは自分自身が、心の飢えから自由になって、そして自分から他人に愛情をかけていく。

まずは家族から。
そうするうちに、やがて相手も愛情で返してくれるようになってくる。
少し時間は掛かりますが、根気よく続けていれば、そのうち必ずいい結果になってきて、人間関係が良くなってくる。


まあ少なくともワタシはそうやって生きています。


なんだか、仏教説話みたいな話になりました。
あちらこちらで同じようなことが話されているような気もします。

しかし、全然、世の中に広まってないし浸透してないんじゃないか、と思わせるような、悲惨な事件やら何やらが多くて。
新聞やテレビのニュースにならないような、身近なところでも、子どもに対するネグレクトなんていう事例が、たくさん耳に入ってくる。

なんでそんなに、冷たくできるんだろうな~、と信じられない気持ちになりますわ。


でもそういう親は何人もいるんです。
子どもほったらかしで男に走るシングルマザーとかね。

でも、こういう人だって、やっぱりその心の奥底には愛情に飢えた寂しい心がある。
その渇望を埋めたくて、男に走っちゃう。
自分が愛されたい欲求ばかり強くて、子どもを愛することができない。

だから、いくらそういう人を、道徳的に悪い、とか責めてみたって、法律で縛ってみたところで、絶対に改善するワケがない。
その人自身が、自分が男に狂ってばかりで子ども放置なのは、心の奥底に、愛に飢えた寂しい心が沈んでいて、それに行動を支配されてしまっているからだったんだ、と気づかない限りは、絶対に何があろうとも、変わることはありません。


でも世間一般の常識で行くと、子ども放置のネグレクト親はバッシングされて当然! みたいな風潮があるでしょ。

その親だって、可哀そうな人なんですよ、本当はね。


でも、誰にも救えない。
自分自身が気づかない限りは、絶対に無理。


でも、あまり道徳的に責めるのもちょっと違うと思うワケです。


何か、話が脱線した。
今日は酔っぱらってないけどね。


ちょっと酒は控え中……



にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ ヴァイオリンへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ ヴィオラへ
にほんブログ村

続きを読む

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

人前で弾く緊張について。

故あって、人前で弾いてきました。
ヴァイオリンを。


お金をいただいて開くコンサートとかじゃないですよ。
とある集まりの中で、余興みたいな感じで。
会場もホールとかじゃなく、会議室くらいの広さだったかな。

でも意外に聴衆はたくさんいた……


弾いた曲目とか、開催日時、場所等は、参加者が万が一これを読んで、「あっ、これを書いてる人って、あの時弾いてた人なの!?」とバレるとイヤなので、詳細は伏せておく。


曲はクラシックとかじゃなく、歌のメロディーラインだけをヴァイオリンでワタシが担当して、その他にも複数の楽器が入って合奏、みたいな形式での演奏でした。
ヴァイオリンが主旋律担当なので、一番緊張する、という……


正直に率直に言って、もうガクブルでしたよ。

本番の1週間前くらいかなぁ……集まってリハーサルのときから、すでにガクブルで弓は震える、左手は力が入らなくてうまく押さえられない、とさんざんな有様。

そこから、どうやって本番を乗り切ったのか。


まず重要なのは、日々の練習。
ゆっくりと遅く、左手指はがっつりと力を込めて、強く押さえながら音もはっきりしっかりと大きく出して、指に、体に、自分自身の内側に奥深く浸透させていくような、そんな練習を毎日、重ねた。

日々の練習で一番重要なのは、絶対に間違えないこと。
とにかく、「正しく弾く」ことだけを繰り返す。
練習のときに間違えて弾くと、間違えるクセがつく。

これは致命的。
練習のときには、絶対に間違えずに正しくだけ弾く。
それを何度も繰り返して、「正しく弾くクセ」を体に沁み込ませる。

いつ何時でも、常に「正しく弾くクセ」を体に覚え込ませる。
例え、緊張してガクブルで、頭が真っ白になって次に何弾くのか分からなくなったとしても、ついついいつものクセで正しく弾いてしまう、それくらいに深く強烈に、正しく弾くクセを体に覚え込ませる。


これが基本。


でも、これだけでもまだ足りない。

人前で弾く、というのは、どう頑張っても、何をどう努力してどう工夫しても、絶対に緊張するものである。


ヴァイオリンじゃなくて、ビリヤードの話になりますが。
昔、ビリヤードが流行っていた頃に読んだんですが(30年以上は昔かな?)。

ビリヤードの、世界選手権みたいな大会で、日本人選手が決勝に残ったらしくて。
その日本人選手が書いていたのですが。
優勝を決する最後の戦いで、対戦相手の誰か(日本人じゃなくて外国人。どこの国の何ていう人かなんて忘れた)の撞く番。
このひと撞きでナインボールを沈めれば、その対戦相手の外国人の優勝、という、最後の勝負を決める一瞬だったそうなんです。

ふと、その外国人を見ると、手がブルブル震えていたそうで。
ものすごく、相手も緊張しているんです。

しかし、その外国人は、そんな手がブルブル震えるくらいの緊張状態の中でも、正確なショットを放って見事にナインボールをポケットに沈め、優勝を手にしたそうなんです。

そのとき、その日本人選手は、これが世界レベルなのか、と非常に衝撃を受けた、とかいうニュアンスのことを書いていた。


つまり、「強い人」というのは、緊張しない人、のことではない、ということです。
手が震えるくらい極度の緊張状態の中でさえ、力を発揮できる人、それが本当に強い人なんだ、ということなんですね。


ヴァイオリンも同じなのかなぁ、などと考えた。
緊張してガクブルな状況下でさえ、いい演奏ができる。
それが一流の奏者なのか……?
などと。


では、緊張に負けない心構えとは、どんなモノなのか。


ワタシなりに今回得た答えとしては。


お客様に楽しんでいただきたい、という、おもてなしの心なのではないかな、と思った次第です。
何人も詰めかけてくださいました聴衆の皆さまを前にして。

そりゃあ、緊張します。
ガクブルです。
だってワタシ、しょせんはレイトですよ?


しかし。
ここで気持ちを切り替えるのです。
これから弾くこの曲……この曲の良さ、感動、心に沁みるところ、そういう楽しさを、みんなに伝えたい。
多くの人と共有したい……
みなさんに楽しんでいただきたい。

そういう気持ちから出発して、演奏に臨む。
この曲の、ここがいいんだよね!
ここの和声的な進行が、心に沁みるんだ!
ここの、この音色がたまらなくいいんだよ!

そういうのを、多くの人に伝えたい、同じように、感動してもらいたい……
そういう、おもてなしの気持ちで弾き始めると、そういう気持ちの方が緊張を上回って、緊張した状況下であっても、間違えたりなどせず、むしろ練習のときよりもうまく、音楽的にノッて、キレイに、ステキに弾ける。
聴衆が前にいると、練習のときよりも、ダイレクトにその反応を感じることができる。

よしっ、次の和声的な響きがたまらないんだぜ? ここを聴いてくださいっ! どうぞっ!
みたいな。

そういう、サービス精神というのか、おもてなしというのか。
そういうのがどんどん沸き上がってきて、むしろ練習のときよりも、本番が一番、うまく弾けた、というような結果になるワケなんです。


もう、サービス業の極み、というモノです。
ワタシ、こう見えても(見えてないけど)、若い頃は飲食関係の接客業とかもしてましたからね……
サービス業、というのがどんなものか、一応は分かっているつもりではいます。

人前でヴァイオリンを弾く、というのも、究極のサービス業なんじゃないか、いや、究極のサービス業そのものだな、そうに違いない、と今回は確信いたしました。


まあ、当然ですよね。
お客様に楽しんでいただくのが、演奏家の使命ですもんね。
そりゃあ、究極のサービス業に違いありゃしませんや。


だから、、極度の緊張下でも間違ったり、弓が震えて跳ねてバコバコ弦の上で踊ったりなどせずに、きちんと曲を弾ける力というのは、突き詰めていくとサービス業の、お客様に楽しんでいただきたい、という精神に尽きるんじゃないか、と。
そう、思ったのでありました。


ま、実際、本番が一番、練習のときよりもうまく弾けて、評判も上々でした。
いや、本当はもうガクブルで緊張しまくっていて、本当のことを言うと、緊張のしすぎで吐き気はもよおすは、お腹は下るはで、もう本当にヒドい状態だったんですけどね!


もうね~、一週間どころか二週間前くらいから、緊張のあまり慢性的な吐き気、下痢、あと謎の気持ち悪さに苛まれ、苦しめられる日々が続いていましてね。
それくらい、人前で一発弾く、っていうのは厳しい行いなワケなんですわ。


でも、そんな極度の緊張を上回るのは、お客様に、最上の音楽をお届けしたい、この感動を同じように味わってもらいたい、共有したい! という、究極のサービス精神というか、おもてなしの心というのか。

そういったモノなんじゃないか、とつくづく、しみじみと実感した次第でありました。


まあ、めっちゃ疲れましたけどね……
なんか、ワタシ一人だけがガクブルだったみたいで(だって主旋律担当ですよ?)
共演者の方から、「楽しかった♪」とか言われましても。
俺様にはそんな余裕、まったくなかったぜぇ~!(T▽T)


表向きは、楽し気に演奏しているそぶりで、演技しましたけども。
本当はガクブルで、楽しんでる余裕なんて皆無!
本当は必死!!

必死で、お客様に楽しんでいただけるよう、最善の努力をいたしただけでありました。


でも、結果は、意図した通り、上々の出来に終わったようだったので。
まずは、良かった。
ε=(´o`;)



これがですねぇ~、「自分がいいカッコしたい!」とか「いいトコ見せてやるぜ!」とか、「称賛を得たい!」みたいな、個人的な欲求から出発してしまいますと、100%、絶対に失敗します。


人間っていうのは、どういうワケかは分かりませんが、そういう風にあらかじめ出来ている。
それは、まぎれもない事実です。


でも、人間、ついつい、自分がいいカッコしたい、いいトコ見せて、称賛されたいッ!! というような欲求を持ってしまいがちです。

そういう、個人的かつ自己中心的な欲求を、じゃあどうすればいいんだよ!?
というテーマに関しましては、ちょっと今夜は遅くなってしまいましたし、明日の業務にも差し支えますので、明日以降に続く、ということで……


(続く)


にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ ヴァイオリンへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ ヴィオラへ
にほんブログ村

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

Jenny Yun ちゃんと共演だッ!!

さてさて、今日は、日曜日ということで。
Perpetual Motion に一通り取り組んだ後は。


お楽しみタイムです!!

マイ・スウィート・アイドル、Jenny Yun ちゃんのYou tube 動画には、なんと、バッハの二つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調BWV1043の、1stヴァイオリンパートを抜いて2ndヴァイオリン&ピアノ伴奏だけで弾いたバージョンがあるじゃないですか。

↓コレ




かっ、可愛い……
ズキュ━━(*〃´Å`〃)━━>>ンッ


あ、いや、そういうことじゃなくて、ですね。
この動画、ソロの1stヴァイオリンパートは、あなたが合わせてねっ♪(・ω<)~☆
っていう意味だと思うんですよ。

分かったッ!!
ε-(`・ω・´)フンッ



任せとけッ!!


……そうは言っても。
You tube 動画だと、いくら音量を上げても、パソコン内蔵のスピーカーじゃ、限界があってすぐに音が割れるし。
音量も十分に出ない。

ありゃりゃ……これはダメか?
と一時は思ったが。

しゃーねーな……You tube 動画を再生しつつ、ICレコーダーをパソコンのヘッドホンジャックにつないで音を拾って録音。
その録音を、いろいろな処理の後、CD-RWに焼き付けて、CDラジカセで再生。

十分な音量と、音質を確保できたぜッ!!
o(`・д・´)ノ


そして、バッハ作曲、二つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調BWV1043を、1stヴァイオリンソロ→ワタシ、2ndヴァイオリンソロ→Jenny Yun ちゃん、伴奏はピアノ、という編成(?)で弾いてみた。



結果。



テンポ速すぎて全然弾けねぇ~~!!
(T▽T)



聴いた感じだと、いい感じのテンポで速すぎず、イケるかな? と思ったのが甘かった。
普通に、イツァーク・パールマンとかのCDと同じような、プロ向けのテンポだった(笑)

Jenny Yun ちゃん……可愛い顔して、鬼すぎるゼ……



しゃーない。
合わせられるまで、特訓だーッ!!
(`ヘ´#)


……いったい、何回合わせたのだろうか。
記憶にある限りだと、5~6回は合わせて弾いた気がする……


不思議なモンで、何度も合わせていると、最初は速すぎてとても無理ッ! とか思っても、だんだん順応してくるのか、それなりに合わせられるようになってくる。

まあ、この曲、ずーっと前からちょこちょこ弾いていて、音はほぼ完璧に覚えちゃってますからね……

あとは、あのテンポで弾けるかどうか? が焦点になる。

あのテンポで弾くとなると、かなり左手指の技量が足りないこと実感。
しかし、俺は諦めない。

俺様の辞書に、「諦める」という文字はない。
諦めが悪いというか往生際が悪いというか、ただ単にバカなのか、未だにメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲とかパガニーニのカプリースだとか、その他ロマン派の激ムズ・ヴィルトゥオーゾ的楽曲だって、諦めてはいませんからね。

今はダメでも、60歳、70歳になったら弾けるんちゃう?
みたいな(笑)


それはともかく、少しずつ、合わせられるようになっていく。
ただ、どうも一部、何度やっても合わない箇所があったり。

まあ、取り組んでいればそのうち合わせられる日も来るだろう……
こういう、アバウトさというか寛容さというか、あまりコン詰めないくらいのスタンスが、いいと思うよ。

コンクール目指す若者じゃあるまいし。
そのうち出来るさぁ、出来なかったら出来なかったで、それはそれでいいじゃん。

何にこだわって、何と闘う必要があるというのか。
楽しむことが、最優先。

気合い入れて根詰めて、追求して何を得たいのか。
ワタシは、別に何も得たいものなどありゃしません。

今、このときが楽しいことが、最重要なのです。
その結果、向上するならそれに越したことはない。

そんくらいのスタンスです。


ま、Jenny Yun ちゃんに合わせるのはかなり難しかったが、それにチャレンジする、ってのが楽しいワケで。
別に、結果が出ようが出まいが、そんなのは関係ないんです。

そりゃあ、上手に、綺麗に合わせられたら、録音してアップしたりしちゃいますけどね?
今のところ、その気配はない……


前にも言いましたが、本番のテンポで本番弾きするときは、軽く弾きます。
左手も重たく押さえないで、軽く押さえる。
右手の弓はなおさらで、軽く弦の上を滑って、弦を震わせて楽器本体を振動させるだけ。

これが、口で言うほどには簡単じゃないんだ。
左手があのテンポだとひっじょ~に動きづらい。
かなりキツいッス。
左手を軽く押さえてさえ、正しい音程、豊かな音量を保たなければならない、となると、途端に激烈に鬼ムズになってくるワケですよ。

でも、かなりいい訓練になったと思う
あのくらいの訓練をしてなかったら、とうてい人前では弾けやしないよ……


人前で弾く、という件に関しては、また別項目で論じるかもしれないし論じないかもしれない。


にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ ヴァイオリンへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ ヴィオラへ
にほんブログ村

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

プロフィール

ばっかバッハ

Author:ばっかバッハ
ヴァイオリンを習い始めたのは16歳くらい。
それから30年以上の歳月が流れ…今ではアラフィフ。
年齢とともに楽器を弾くのが辛くなってきたので、ゲームで遊ぶことも。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード