USJのワンド・マジック

ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの、通称ハリー・ポッター・エリア(ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター)の新アトラクション、ワンド・マジックをやってきました。

別にそれをやりに行ったワケじゃないんですが、行ったらやってたので。
あと、孫のRちゃんがなぜか異常に食いついて、やりたいやりたい、とせがみまして。

妻(ばーば)と娘(ママ)は、専用の杖が高額(確か4900円だったかな)なのでしぶっていたのだけど、アタシはRちゃんがやりたがっているのなら一も二もなく、迷わず購入ですよ。

ハーマイオニーの杖にした。

で、建物の煙突から火を噴かせる魔法のところへ行ってみた(そこが一番目立ってた)。

杖を適当に振れば掛かるのかと思ったら、違うのね。
ちゃんと決まった動かし方で振らないとダメらしい。
呪文は唱えなくても大丈夫。

最初はよく分からなくて出来なかったんだけど、どこかの知らないお兄さんが教えてくれて、Rちゃんにもできました。
その時間はもう閉園間近だったので、クルーの人が誰もいなかったんですね。

地図を見て、別な魔法ポイント(?)を探して、すぐ近くの動きを止める魔法とか、ホグズミード村の門付近の箱を開ける魔法とかもやった。
夜だと、人が少なくてほとんどやり放題。
後ろに誰かが並んだら、譲るのを忘れてはいけないけども。
なんだか、子どもばかりじゃなくて若い女子とか年配のおば様とかもけっこう夢中でやってる。
男性は少ないかな~、ワタシはもっぱらRちゃんの付添で、後ろから手伝うだけでしたけどね。

次の日はもう、朝からJTBプレゼンツのアーリー・パーク・インで早めに入って、魔法かけまくりですよ。

結局最終的には6か所全ての魔法を成功させてきたけども。

いや~、でもあのワンド・マジックっていうんですか。
あれ、意外と面白いですよ。

そう簡単には掛からないのがいいですね。
決まった動かし方通りに、うまく杖を振らないと、掛からない。
それだけに、上手に掛かったときの嬉しさが半端ないワケです。

なんだか、本当に魔法が掛かったような気分になれる。

Rちゃんも小さいのに(ちなみに小学1年生)、火をつける「インセンディオ」とか雪を降らせる「メテオロジンクス」なんかは手伝わなくても一人で大成功させられるまでになった。

魔法は小成功と大成功の二通りほどあるようで、火をつける魔法だと、火が小さかったり大きかったりするんですね。

物体を宙に浮かせる「ウィンガーディアム・レビオーサ」は一番難しくて、なかなか成功しなかった。

箱を開ける「システム・アペーリオ」も動きは複雑だけど、なぜかワタシは得意みたいですぐにできました。

後は風を起こす「ヴェンタス」ですか。
小成功だと一発だけ「ぶほっ」と風が来るだけなんだけど、大成功だといっぱい風が吹いて来て面白い。
動きを停める「アレスト・モメンタム」は地味でしたね……
印象が薄い。

あ、ちなみに上記の呪文は、全部記憶に頼って書きましたので、もしかしたら間違ってるかもしれません。
いちいちどこかで確認してません。
ってゆーか、全部覚えちゃってるし(笑)

Rちゃんが気に入っちゃって、何度も同じところに並ぶもんだから。
覚えちゃいましたよ。


あ、他にも新アトラクションのフライング・ダイナソーってのがありましたが……

なんすか、あれ?

もう、下から見上げてるだけでガクブルなんですけど?
逆さに吊り下げされて高~いところまで引き上げられていって、一気に急降下したかと思ったら錐もみ回転とか。

いや、あり得ないでしょ。
あれは無理でした。
乗ろうと思えば乗れたけど、とても無理でした。

なんであんな恐ろしい乗り物に、240分(4時間?)も並んで乗るのか、意味が分からないよ。


え~、最後になりましたが、ハリーポッターのホグワーツ城ですけども。
(クリックで拡大)
IMG_0596.jpg

ハリーポッターエリアの正反対にある、ドラゴンズパールがある辺りからも、見えるんですね!
(クリックで拡大)
IMG_0595.jpg

なんだか、遠くから見るとまたなんとも神秘的というか風情があると言いますか。
ちなみに、モッピーバルーンからも遠くにホグワーツ城が見えてました。

どこから見ても、あの威容には圧倒されるものがあるよな……


妖怪ウォッチ・ザ・リアル3も入ったけど、町は前とおんなじでしたね。
まあ、面白かったけど。
妖怪探しの時間が、前より長めになっていた気がする。
余裕で妖怪メダル6枚取れたし。


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ジャンル : 音楽

孫エピソード

孫の話。

よく、「これは自慢じゃないが……」などと付け加えつつ話を始める人がいるが、たいていそういう場合、100%自慢そのものだったりする。
だから俺は、そんな姑息な真似はしない。
最初にはっきり断っておく。
これは自慢です(笑)

これから自慢します。
不快になられる方は、読まないでください(爆)


孫はこの春から無事に小学校に上がりまして。
授業で、「大事なもの」を文字で書いて絵も描くというのがあったらしいのです。

多くのお子さん(っていうか、孫のRちゃん以外の全員)は、好きなおもちゃとか(アイカツカードとかだそうです)を書いた。
ところが、ウチのRちゃんは、大事なものとして、



かぞく



と書いて、家族の絵を描いたそうなんですね。
授業参観でその絵が教室に飾られているのを見てきた娘(ママ)が、

(^-^;)「もう、優等生すぎて……」

なんて報告していたが、別にRちゃんは優等生になろうとしてそう書いているワケじゃなく。
素直に素でそう思っているから、正直に書いただけなんですね。

まあ、ときどきRちゃん自身が、ワシに

「何が大事?」

とか聞いてきたときに、即答で

「Rちゃん!」

とか答えていたからなぁ。
それにしたって、別にそう答えておくと後でいいことあるぞ、とかそういう下心とかは全くなくて。
素直に素でそう思っているから、正直に言うだけなんです。

そういうのが伝わっていたのかなぁ、と思うとちょっとじんわり来るものがあった。


でも、こういう話を書くのはただの自慢っていうだけじゃなくて。
よくニュースで、親を殺したとか、子どもを虐待で死なせたとかやってますよね。

一番大事なものは、家族。

そう、素直に言える人が、一人でも二人でも増えていけば、あんな悲惨な事件なんか起こらなくて済むのにな、と思ったので、書いてみた次第です。


しかしまあ、傍から見てて、ネグレクトだなぁ、と見える親はけっこう多い。
別に暴力振るったりしなくても、必要なことをしてあげてないとか、ただ放置してるだけ、みたいな。

子どもを授かる、っていうことに対して、ありがたみがないんでしょうね。
悲しいことです。

ワタシの場合、この子がどんな子であろうと、たとえ何等かの障害を持つ子であったとしても、何があろうとも絶対に見捨てない、受け入れて必ず味方でいる、という覚悟がありました。

そしたら、大きな障害もなく、今はまったく通常に小学校に通えていますし、むしろ先生からは非常に評判がよく、クラスメートからも人気があるようです。

親が、「できるだけ楽したい、子育てめんどくさい、遊び半分でやっていたい」などと心の奥で思っていると、たぶん子どもはめんどくさくて手のかかる、イヤな子どもになっていくでしょうね。
愛情に飢えるから。

そしてますます虐待にも拍車が掛かっていくという悪循環。


もうだいぶ前の話になってしまったけど、韓国でネットゲームにハマった夫婦が、子どもを放置して死なせたという事件があった。

ゲームに極度にハマる、というのは、本質的には心の寂しさから発しているのであって、ゲームはそれを誤魔化すための麻薬のようなものにすぎない。

ほんとうは心が寂しくて満たされていないのに、それを誤魔化している。

それではだめで、誤魔化すんじゃなく、心の寂しさとほんとうに向き合って、その辛さ、渇望をよ~く認識した上で、その次には、子どもに同じ思いはさせたくない、この子だけは命がけで愛そう、と思わなくちゃいけないのじゃないか、と思います。
自分と同じ惨めな思いなんかさせたくない!

って、そう思わなきゃ、ウソだよな~、と思うんですがねぇ……


ワタシだってね、親からそんな愛された記憶はないですよ。
母親はどっちかっていうと自分の寂しさを紛らわすために子ども(ワタシ)を利用してたみたいなトコあったし(だから、あまりありがたくなかった)。
父親はといえば、その間、浮気にいそしんでいたという(笑)

あ、でも別に、今さら父親を「悪いヤツだ!」などと断罪する気もないし、恨みも怒りも何もありません。
モテてたんだから、仕方ないんだと思います。

自分が愛されなかったから、子どもを愛せない、なんて嘘です。
愛されなくて寂しかったなら、どうしてほしかったか、分かるハズなんです。
こうしてほしかった、こうだったらよかったのにな。

それを、自身の子、自分の家庭で実現すればよいのです。
そりゃあ、簡単にできるこっちゃないでしょうけど。
でも、できるできない、じゃないんです。
目指すか、目指さないか、なんです。

ヴァイオリンも同じです。
弾けるか弾けないか、じゃない。

とりあえず目指すんです。
そのうち、弾けるかもしれない。
1年でダメなら、5年、10年と続ける。

以前とは、少しは違ってくるというものです。

……あれ、なんで俺、こんな話してんだろ。
謎すぎる。

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テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

孫の指導。

6月8日を最後に、更新が滞っていた。
あの頃、雨が多くて寒かった時期だったので、夏風邪をひいてしまって、1~2週間くらい練習ができず。
そうこうするうち、今度は猛烈に暑くなってしまって、練習どころじゃなくなり。

ブログの方もご無沙汰になってしまった。
最近、ようやく過ごしやすくなってきた。

とはいえ、練習を再開は、していない……

何に注力しているかというと、主に孫のRちゃんの指導である。
指導とはいっても、まだようやく2番線で1の指(人差し指)を押さえて、「シ」の音を出すところまでしか進んではいないのだけれども。

解放弦の「ラ」と、1の指で押さえた「シ」を出す練習。
ようやく、そこまで進んだ。

で、昨日、ヴァイオリンの指導するかぁ~、ってな感じで、Rちゃんの小さいヴァイオリン(良くみたら、10分の1サイズだった)ケースを横に置きっぱなしにして、自分だけさっさと大人サイズのヴァイオリンを取り出して、別にRちゃんに「練習するぞ~」とか「練習やりましょう~」とか何か声掛けするでもなく、黙って一人で弾き始めたんですわ。

曲はドラマ『マッサン』の主題歌、『麦の唄』。
この曲は最近のRちゃんのマイブームで、いつも鼻歌を歌っている。

ぼくは別にRちゃんが遊んでいるのを気にも留めずに、ヴァイオリンで『麦の唄』をただ弾いていた。

そしたら、Rちゃんが何も言ってないのに、自分から勝手にヴァイオリンをケースから出して、準備し始めるんですね。


これが大事。


音楽で一番重要なのは、音楽の楽しさを伝えること。
技術云々は、後から。

まず最初に、音楽の楽しさ、心に沁みる感動、それをまず感じる。
その後で、それを得るために、苦しい練習でも耐える、という順番で来る。

ぼくが横で、「ああ~、この曲、ええなぁ~」なんて思いながら楽しく弾いていると、Rちゃんの方も、「あれ、なんかじーじ楽しそう。自分もやりたい!」とか思うのかどうかは分からないけども、恐らくそんなような感覚があったのであろう(たぶん)。

それが最初になかったら、音楽なんて、ダメ。
怒って怒鳴って、無理やりやらせたところで、音楽なんてできるようになるハズはない。
そこそこ弾けるようにはなるかもしれんけど、自分から進んでやるようにはならないし、ましてや心に沁みるいい音楽を奏でることなど、絶対に出来るハズがない。

その辺、勘違いしている親が世の中にはいる(今通っている音楽教室にもいたが、教室に不満を持って辞めていったらしい。悪いのは自分たちなのに……)。


ぼくは、Rちゃんに対して無理やり強制的に練習させる、ということはしていません。
そりゃあ、ただサボりたいだけの怠惰な気持ちで「やりたくない~」とか言っている場合には、ちょっと怒ることもあるけども。

それでも基本は、「音楽の楽しさ、感動」が最初。
それを伝えることを主眼としている。

そんな指導方針のせいなのか、それともRちゃんの天賦の才なのか、あるいは生後半年以降、ぼくのヴァイオリンやヴィオラを間近で聴いていたせいなのか、原因は不明だけども、Rちゃんはヴァイオリンですごく「いい音」を出す。

Rちゃんが楽器を出して準備し始めたから、「譜面台取ってくるね~」とか言って別室から譜面台を持ってくると、何やら「いい音」が響き渡ってくる。
Rちゃんが解放弦で音出ししているんですね。

Rちゃんパパは、仕事が忙し過ぎて時々しか帰ってこれないんだけども、ある日、帰ってきたときに、Rちゃんが音出ししていたらしい。
それを聴いてパパはびっくりして、「しずかちゃん(ドラえもんの)みたいな音じゃないんだね……!」とか言って、実はそれまでヴァイオリン習うことに反対気味だったのが、180度反転してヴァイオリン推進派に変わった、というエピソードもある。


音楽を習得するのに一番大事なことは、身近な家族が心から音楽を楽しんでいること、だと思う。
それを見て、楽しいことなら子どもは自然に真似するのである。
難しい技術云々は、後から。
まずは音楽の楽しさ、感動。それが、先。


世界的大ピアニストのスビャトスラフ・リヒテルの家庭も、そうだったらしい。
リヒテルのお父さんはチェロ弾きだったらしくて、いつも家でチェロを弾いていたそうだ。
後にリヒテルが回想したところによると、「父のチェロは決してうまくはなかったが、そこには確かに音楽があったのだ」とか何とか述べたのだとか。


別に、うまい必要などないのだ。
楽しんでいるか、どうか。

うまく弾こう、というのは、結局、人と比べて、人よりうまく弾こう、という競争心の表れであって、それは音楽を楽しむとか、感動を味わうとか、そういうこととは無関係なところにある。

そりゃあ、音楽でメシを喰っていこう、と思うなら、コンクールに入賞して、人よりうまく弾かなければいけない……という命題も出てくるのかもしれんけど……
そうは言っても、競争だけの、強制的にやらされた音楽で、人を感動させられるだろうか?
そんな無味乾燥な音楽で、メシが食えるのだろうか??
多くの人に買ってもらえる演奏ができるんだろうか???

最終的に、目指すものは得られない、という結果に終わりそうな気がするけども。

ま、いずれにせよ、怒って強制的に練習させる、というのには、強く反対する。
(実際そういう親もいるからな~、やめようぜ、もう、そういうのは……)


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テーマ : クラシック
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「うつ」になった。

二日間くらい、「うつ」になった。
漢字で書くと「鬱」。
最近の精神医学会では、漢字で書くと難しすぎるので、ひらがなで「うつ」と表記するそうだ。

それはともかく、キッカケはやはり、妻がインフルになって、別室で一人寝していたのが最大の原因で。

一人で寝ていると、考えが暗い方、うつな方へとどんどん行ってしまう。

それだけじゃなく、孫のRちゃんのピアノ発表会があって。
本番の1週間前、たまたまぼくの前でRちゃんがピアノ弾いたら、曲が全然、弾けてない。
愕然とした。

右手のメロディーだけなら弾けているんだけども、左手を入れると途端に弾けない状態で。
これでどうやって本番迎えんの!?
ってことで、ぼくが少しピアノを見てやってたんだけど、Rちゃんは実は小さく生まれた低出生体重児で、今でも体が小さくて人よりぶきっちょなんですね。
まあ、大きな障害が何も残らなかったのが、奇跡と言えるんだけども(医学会で研究対象にされたほど)。

それでも、人よりも肉体的な発達は遅れ気味で、どうしてもぶきっちょなんですね。
だから、左手と右手、両手で弾くのが難しい。
ある程度、レッスンしても、どうしても難しそうだから、Rちゃんに言ったんです。
右手だけでも、いいんじゃない? って。
そしたら、Rちゃんは。

「右手だけがいいけど、両手でやらないとママが怒っちゃう。両手じゃないと、笑われちゃう」

って言うんですよ。
ぼくは、怒りがこみ上げるのを感じた。
こんな、ぶきっちょでまだよく弾けないような幼子に、無理やり両手で弾くように追い込んでいたのは、娘(ママ)だったのか……(-_-;)

別に右手だけだって、いいじゃないか。
Rちゃんは、幸い素直に育ったせいか、音の良さでは誰にも引けをとらない、という長所がある。
小さく生まれてるんだから、器用に両手で弾けなくったって、構わないハズなのに……
母親は、すぐにそれを忘れて、誰ちゃんよりうまく弾かなくちゃ、両手で器用に弾けるところをみんなに見せるんだ、みたいな、「見栄」で子どもを追い込んでいる。

こいつは許せない! と怒り心頭に発したぼくは、ついつい、娘に向かって大声でどなり散らしてしまった。

「お前が追い込んでるんだろーがっっ!!!」

もう、それからは大ゲンカ。


ぼくは、言葉が足りなかったと思って、その後、マイクロソフトワードで、「見栄」でRちゃんを追い込んでも意味がない、ということについて説明を書いて、娘の家のポストに投函しておいた。

それを読んだか、読まないか……
その夜、一人寝をしながら、その問題についてぐるぐる考えているうちに、なぜか気持ちが「うつ」に。
いつの間にか、自分は必要ない人間なんじゃないか、とか、これはもう、死ぬしかないんじゃないか、とか。
後で冷静になって考えると、どうして「死ぬ」に結びつくのか、まったくもって意味不明。
しかし、そこが「うつ」の「うつ」たる所以。

死にたくなるのに、特に理由はない(笑)
まったく脈絡もないのに、頭の中では、どうやって死のうか、死ぬまえに、ちゃんと離婚届は出して、自動車の名義も書き換えて、貯金通帳も解約しておかないと、面倒くさいよな、とか……携帯電話は、まあ引き落としが落ちなければ勝手に止まるからいいか、などとマジで考えている。

そしてRちゃんのことを考えては、涙してみたり。

次の日になって、インフルから快復した妻と夕食に出掛けて(実はそれまで、ロクにメシを喰ってなかった。24時間くらい)、自分はもう必要ない人間なんじゃないか、とか話したら、「はっはっはーっ、んなワケないっしょー!」と笑い飛ばされた。

そして冷静になって、う~ん、よくよく考えたら、なんでそうなる(死ぬ)のか、意味わかんないよな、と気が付いた。

しかし娘は娘で、ぼくの手紙を読んで、また逆上していたらしい……

さらに、次の日くらいになって。
娘と顔を合わせたので、「怒ってる?」と聞いてみたら。

「いや、反省してる」

と答えた。
なにっ!?(゜▽゜;)

「自分が見栄っ張りだな、と気づいた。○○ちゃんに負けるでしょ! とか言って追い込んでた。お母さんと同じことしてた」

と言って、本当に反省した様子。
ぼくは思わず、感動してしまった。
目頭が熱くなった。

(T_T)そうか……分かってくれたか。
こんなに嬉しいことはない!
注:実は妻も見栄っ張り。かつて娘を追い込んだ過去アリ。

そしてRちゃんのピアノは、左手を大幅に簡略にしたバージョンで発表会を迎え、ぼくの予想通り、誰よりもキレイな澄んだ音で聴衆を魅了したのであった。
そりゃあ、難しい曲を器用に弾く人は、他にいくらでもいたさ。

しかし。
音の良さでは、Rちゃんにかなう人は、誰もいなかった。

そうなんだ。


ま、そんなこんなで、あまり練習できなかった。
今日あたり、「うつ」の影響もだいぶ薄らいできた。とはいえ、ぼくはいつも、常に軽度の「うつ」だからね……

久々練習は、まずはバッハ無伴奏ヴァイオリンソナタ第3番から第4楽章アレグロ・アッサイ。
この曲、今日辺りはずいぶんと弾けてきた。
終盤のハイポジションが、かなりすんなりと弾けるようになってきたのである。
まだ安定しているとは言えないものの、大きく音程をハズすことなく、止まらず、スムーズに行けるようになっていた。
すごい。
やはり、繰り返し繰り返ししつこく練習していると、ある日できるようになるものらしい。

もうすぐ、録音に行けそうな雰囲気である。
とはいえ、まだもう少し先にはなるだろうけど……

続いて、バッハのヴァイオリンソナタ第1番ロ短調。
第1楽章と第2楽章を、最初はカラオケなしで丁寧にさらってから、CDカラオケ君のチェンバロに合わせて弾いてみた。
これも、何度もやって経験を重ねていくにつれ、合わせるポイントが体感されてきて、合わせやすくなってきた。
特に第1楽章は、前よりもずいぶん合うようになった。
第2楽章も、大きなミスをすることはなくなり、細かい箇所で音程の微妙なズレだけが問題となってきた。

今日は疲れちゃったので、練習はこれで終わり。
ヴィオラができていない。
ヴィオラ祭り、したいなぁ、と思いつつ、まったく出来ていない。
ヴィオラ祭りとは具体的には何かというと、ヴィオラでバッハの無伴奏チェロ組曲を弾きまくることである。
第1番だけじゃなくて、第2番とか第3番とかも、一気に弾くのである。
かなり疲れるけども……

今ほど忙しくなかった頃には、3~4時間くらいぶっ通しでヴィオラを弾いたりしたものだったが……
またやりたいなぁ。

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孫の教育。

昨日の話。

孫のRちゃんが、どうしても『アクアビーズアート』っていうのが欲しい、って言い張るんですね。
なんだか、保育園のお友達が持っていたらしくて。

で、やりたいやりたい、ってすごく言うんですよ。
ばーば(妻)はそういうとき、意外と甘いから、じゃあ今日買ってあげる! ってなったんです。
そして、我々が仕事終わった後、Rちゃんを連れてトイザらスまで行きました。
買って、そしてお食事もして帰ってきたら、もう夜の8時30分くらになっていたんです。

Rちゃんの家(ママの家)に着いて、アクアビーズアートの箱を袋から出したら、もう、今からやりたいやりたい、ってすごく騒ぐワケですね。
当然だけど。
でも、もう夜も遅いし、お風呂入って寝る時間なワケですよ。
ママがそう言って我慢させようとしたら、猛烈にスネるというか、グレるというか、ものすごい顔してママのことパシパシ叩いてるんですね。


そんなとき、どうするか。


ぼくは別に、そのような状況を何とかしようとか、そういう意識はまったくなかったんだけども、ただ単にRちゃんが可愛いから、おもむろにRちゃんを背面抱っこ(対面じゃない抱っこ)して、高い高いをしたんですな。

Rちゃん、急に喜んで、「もっと高く~」とか言うから、ぼくはもう、天井まで届きそうな高さまで、そうは言っても落とさないよう細心の注意を払いながら、スーパー高い高いを5回くらいしてやった。


(ノ^o^)ノタカイタカーイ \(´▽` )/キャハハハ



そしたら、もうアクアビーズアートのことなんて忘れて、満足してぼくと妻を送り出してくれましたよ。
今日になってその後の様子を聞いたら、ちゃんとアクアビーズアートは我慢して、しかも休みの日まで我慢することにしたんだそうだ。



やっぱりね、子どもがあれしたい、これしたい、とわがまましたときに、叱って、怒って我慢させる、というのは、良くないと思うのね。

そうじゃなくて、もっと楽しいこと、もっと喜ばしいこと、もっと嬉しいことを与えて、本当の満足を教えてあげる。
それは、ぼくのように体張った遊びであり、スキンシップであり、人と人とのふれあいなんですね。
それに勝るものはない。

そうすれば、自然と我慢も覚える。

情緒的に不満を抱えたままだと、欲望を抑えることが出来なくなる。
心の満足がないから、物質的な欲望をひたすら追い続けるしかなくなる。

大人になっても何かに依存症になる人は、確実に心の満足が足りていない人。
それは確か。

乳幼児のうちから、ちゃんと心と心でふれあって、体張った遊びをたくさんしてあげないと、情緒的に不満を抱えて、何かに依存してしまう(アルコールとか、スマホとか、たばことか万引きとか、ね)人になってしまうワケです。

そんなのはあまりに可哀そうなので、ぼくはついつい、Rちゃんとは遊んでしまうのであった。

幼児期に、心を満たしてあげないまま、小学生になってしまったら、もう手遅れ。
そういう、人としてすでに終わってしまっている小学生が、ワシらの市内(近所)にもいる。

明らかに授業中で、誰ひとり校庭に出ていないのに、二人だけプールの裏で遊んでる低学年の小学生がいたり。
そいつらのうち一人は、有名な問題児でワシも知っているガキんちょだったので、正直、もう死んでほしいな、と思った。

まだそれくらいは序の口で、これはまた別なガキの話だけど、他人のランドセルを、あろうことか、一級河川の川面に放り込む、などという暴挙に出る糞バカ野郎までいる始末だ。

もうそうなってしまったら、矯正など不可能だよ。
死んでもらう意外、社会秩序を維持する方法はない。 文句があるヤツは、お前が再教育してみろや。
まず無理だから。

そういう、人として終わってしまった子どもは、もはや死ぬ意外ないと、俺は思っている。

だから、Rちゃんには人として終わってほしくないので、全力で愛情を注ぐのである。

自分の子どもが人として終わっていても平気なバカ親が多すぎるぞ。
アメリカ並に、児童虐待をもっと重大な犯罪として認定すべきだな。日本も。

俺はそういう意見。


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プロフィール

ばっかバッハ

Author:ばっかバッハ
ヴァイオリンを習い始めたのは16歳くらい。
それから30年以上の歳月が流れ…今ではアラフィフ。
年齢とともに楽器を弾くのが辛くなってきたので、ゲームで遊ぶことも。

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